理不尽なことに強い人と弱い人がいるのはなぜか


 理不尽に強い人は、その中にある小さな幸せに気づけたり、上手くなるために悩んで切磋琢磨することができる人と言えるでしょう。
 理不尽に弱い人は、今まで理不尽を体験した機会が少ないのかもしれません。


 習い事に例えるならば、次のようになります。

 ・理不尽に強い人
  〇上手くなることが好き。
  ×習い事をすること自体が好き。

 ・理不尽に弱い人
  〇上手になって褒められるのが好き。
  ×習い事をすること自体が好き。

 

 仕事に例えるならば、理不尽に強い人は理不尽なことを「良い機会」と前向きに捉え、不測の事態に備えて対策を立てたり、そもそもの自分の実力を磨こうとします。
 理不尽に弱い人は、例えば希望の職業に就くことができていても、「給料が安い」というように仕事の内容そのものではなく周囲の物事や環境などに囚われて軸がずれていき、やがて退職することになるでしょう。
 自分の好きなことよりも給料を取ったので、それでよいと言えるのかもしれませんが。

 また、忙しすぎると言っていつまでも辞めないでいるのも、「仕事は好きだけど、忙しすぎると困る、休みはしっかり欲しい、旅行できるくらいの連休が欲しい、給料も人並みに欲しい、となっていき、同様の結果となることでしょう。
 本当は何が欲しいのか、何を求めているのか、ということが分からなくなってしまっているので、「求めるものが何なのか」を自分の中で整理できていなにので、何か一つでも手に入らないものがあると、「人は理不尽だ」、「世の中理不尽だ」となってしまうのです。

 今やっていることだけでもそこそこ満足できるという人は、ちょっとしたことで理不尽だとはなりません。
 理不尽なことが多くあっても「自分の軸がある人ほど強くなる」ということです。