努力の有無に関係なく物事を実現させるには

努力の有無に関係なく物事を実現させる方法

 「私は平凡なので努力するしかない」と、こちらが心配するくらいかなり自分を低く見積もって言う人を時折見かけますが、普通の人はそもそも努力自体が苦手なことも多く、その努力と言っているものも、無理やりやって自分を締め付けているのではないかと感じる時もあります。

 努力の有無に関係なく物事を実現させるのに大切なのは、次の二点です。

 ①努力が得意か苦手かに関わらず「継続できる仕組みを作る」こと
 ②努力が苦手な人は、「そのことについては」努力が得意でないことを認めること

 

①努力が得意か苦手かに関わらず「継続できる仕組みを作る」こと
 一例として次のようなものが考えられます。


 ・自動化
  自分でやらずに済むことはやらず、他人やコンピュータなどに任せることです。
  何でも自分でゼロから生み出すより、既にあるものを上手に使うと良いです。
  「効率化」とも言えますが、手順が明確である必要がある場合がほとんどです。


 ・簡素化
  まずは成立に必要な最小限のことだけで組み、体裁等にこだわらないことです。
  骨組み作りを優先した後に、事前対策や事後処理や例外対応などを補強していきます。
  必要なことまで省いてしまうと、悪い意味での手抜きとなってしまいます。


 ・マンネリ化
  お決まりのパターンを持っておき、一定間隔や困った時などで使うことです。
  フレーム思考とも似ていて、当てはめることができれば意外と早く対処できます。
  ワンパターンと言われても、王道として確立できればそちらの方が凄いことです。


 ・ゲーム化
  現実の重圧を正面から見据え過ぎず、一旦ゲームのように捉えてみることです。
  得点物でも、連鎖物でも、収集物でも、ストーリー物でも、様々な見方ができます。
  ゲームと呼ばれるものにも、勝利条件、戦略、勝ち方などがあるのです。

 

 例えば、「健康的に痩せるために食事から変えたい」という場合なら、どうでしょうか。
 毎日努力してキッチンの環境を整え、料理スキルを上げ、たくさんのレシピを覚えて、頭の中に自然と健康的な食事を思いついて体も自然とその料理を作るために動き、それが普通であり当たり前のレベルになるまで研鑽を続ける、と考えるだけではいずれ疲弊してしまうし、膨大な時間がかかってしまいます。

 その健康的な食事の実現のために、次のような考え方をしてみてはどうでしょうか。


 ・健康的な料理やお弁当を宅配してくれるサービスを一週間だけ試してみる
 ・鍋物やスープジャーなどのレシピを活用して簡単に野菜を摂れる方法を試してみる
 ・米一辺倒でなく、例えばオートミールと果物などの手軽な朝食を取り入れてみる


 また、例えばルーティンアプリを使ってみるのはどうでしょうか。
 起床後、午前の作業、午後の作業、帰宅後、就寝前などの括りで項目とそれにかける時間を決めておき、朝起きたら起動することで、一連の作業を済ませるまで時間をカウントダウンしながら進めていくことができます。

 毎日毎回「アレもやらなきゃ、コレもやらなきゃ」と考えて頭も心も一杯になってしまうよりも、最初の一項目さえ動かせば後は流れに乗るだけですから、機械的と言われようが毎日やるべきことは少しでもやれるようになるでしょう。

 苦労して考えながらやり繰りを続けることは、やがてその人の自信や輝かしい過去になるのかもしれませんが、意外とちょっとしたことが壁になったり最初はハードルが高い部類の努力に該当する場合があります。

 そうした中でもその壁にぶつかる回数を減らしたり回避したり、少し楽してやれそうな方法も取り入れて経験してみることで、「そもそもの実行回数を増やしながら継続させていく」ことができるようになったりするのです。

 

②努力が苦手な人は、「そのことについては」努力が得意でないことを認めること
 冒頭の「大切なこと」の②として、あえて「そのことについては」と限定したのは、理由の一つとして自分をより良くしようと努力している人に対して敬意があるからです。
 本来、ある一つの分野でやった努力のやり方が的を得ていなかったり、結果が実りにくい方法だったとしても、別のタイミングではうまく活用できることもあります。

 なぜなら、今まで知りもしなかったことに新たに立ち向かう時の努力と、ダイエットをする時などのように何度も何度も失敗してるけどまた挑戦するという時の努力と、以前からやってみたかったことを実現するために好奇心を持って突き進む時の努力とでは、そのビジョンの持ち方も、進めていく方法も過程も、何よりもそのことに対して既に持っている知識も違うからです。

 現在やっている努力の程度がどのようなものであれ、たった一場面の成否の状態だけを切り取って、「努力ができない人」や「実らない努力に精を出す人」と思う必要も、人から言われる筋合いもありません。
 ひそかに努力を続けている人達から見れば、普通は、努力をする人の姿は素晴らしいものですし、応援したくなるものだからです。
 また、同じように誰にも気づかれずに努力を重ねている人にもそうした思いを巡らせたくなるものだからです。

 もしかしたら、今回やっていることは苦しい努力なのかもしれませんが、別の時、別の分野では、「他人には努力ではどうにもならないようなことであっても、自分なら涎が垂れていても気づかないくらいに没頭できる」という、努力を努力ととらないような状況だってあるのです。
 ただ、今は少し頑固さが顔を出しているタイミングか、ギャンブルのように「もう少しやればうまくいくかも」という根拠のない願望が顔を出しているタイミングなだけかもしれません。

 努力したけどうまくいかない時は一旦受け入れて、ある一定のところで区切ってサッと引いて、それはそれとして別のやり方を試してみることも時には必要です。
 やり方が合わなかっただけだったり、本当に苦手なことに向き合ってばかりなら誰だってなかなか成果は出にくいのですから、それを十把一絡げに「自分は努力が苦手なのだ」と決めつけずに冷静になって見直してみればよいのです。

 

 ただ知っておいて欲しいのは、努力の有無とは関係なく物事を実現させるためのやり方もあるということです。
 無意味に自分を犠牲にして力づくで強引に進めることを続けたり、自分の無力さを感じてあまりに塞ぎ込んだり自分を追い詰めたりして苦しむ必要はありません。
 「睡眠時間を削ってでも頑張る」なんて、もっての外です。

 さらに、いちいち思い出させるのは少し心苦しいですが、自分よりも先に行く人達によく言われるような「もう少し要領よくできるやり方があるだろ」という言葉がグサッとくることもあるのではないかと思います。
 それなりに結果を出す人達は、それなりに楽して結果が出せる方法を知っていたり、押さえるべきポイントを押さえたり、当たりの付け所や調べ物の勘所が良かったりしますから、一人で頑固に頑張るのも選択の一つでしょうが、さっさと切り替えて教えてもらう方が早いです。
 まあ、楽なやり方ばかりを探し求めて自発性がなくなってしまったり、やるべきことに着手しないまま時間だけが過ぎてしまうのは考え物ですが、努力の有無とは関係のないやり方を少しくらい知っておかないと、それこそ「努力のしどころが違うよ」と言われてしまうでしょう。

 もちろん、実際苦しくても辛くても立ち向かわなければ乗り越えられないこともありますから、競技選手のように自分の体を極限まで鍛えたり、職人のように何百年たっても色褪せない技術を磨き続けるような、地道で堅実なことには当てはまらないこともあるかもしれません。

 しかし、こうした努力とは関係のないうまくいくやり方を実際に知っているのと、やったことがあるのと、やり続けているのと、自ら選択して使いこなせるようになっているのとでは、後になってからでは追いついたり埋め合わせたりすることができないほどに大きな差となっていくのです。