根拠のない自信を持つことは効果があるか

 
 未来の自分を信じるために、「自分はできる」、「絶対に上手くいく」、「絶対に勝つ」、などと言って自分を鼓舞する人がいます。
 このようにするのは、いわゆるアファメーションやゲン担ぎとして良いこととされ、例えば「ツイてる」と1日に何回も言っていると良い事が起きたり、やがて実現したり、よいことを引き寄せる、招き入れると言われています。
 
 
 ただし、ポジティブなことを言葉にしているとその言葉が燃料ともなりますが、ネガティブな言葉ではただの毒にしかならず、まったく思ってもいないことや行動してもいないことなどの場合は、言ったとしても意味がありません。
 
 試験で100点を取るために毎日4時間も5時間も勉強したのであれば、「自分は絶対に100点を取るぞ」と言ったとしても十分起こり得ることです。
 しかし、練習を全くしていないのに「明日の予選大会で勝ち抜いて、全国大会に行くぞ」といってもまず無理です。
 「自分では無理だ、失敗する」と、ネガティブなことを繰り返し自分に向けて言葉にしているのは当然論外です。 
 
 脳の中で異なる二つの事象が生じて、その二つが矛盾していると脳にネガティブな現象が起こり、どちらか一方を取り下げたり辻褄を合わせたりします。これは認知的不協和と言われています。
 練習も勉強もしていないのに最善の結果を出そうと考えるのは矛盾ですから、脳がブレーキをかけたり、パフォーマンスを発揮するはずもありません。
 
 つまり、実際に行動したり努力をしている上でポジティブな言葉を言わないと意味がないのです。まったく勉強していないのに明日の試験で100点取るぞと言っても、「私は嘘つきです」と言っているのと同じことなのです。
 また、無理してポジティブな言葉を言い続けるのも負荷がかかるため、実際に行動に移したり努力をした上でポジティブな言葉を言うことが重要です。
 矛盾でなく合致していれば、不安や雑念が減ってより目的の行動に集中できるようになり、より今やっている行動に対しても効果が出て、目的いや目標の実現に近づくのです。
 
 
 
 本題の「根拠のない自信を持つことは効果があるか」について考えるならば、上記のことから、実は矛盾していない行動を起こしていた場合において、効果があるかもしれません。
 それよりも、最も実現可能性が高い状態は「実現したいことに対して合致している行動を積み重ねている状態」です。
 
 「根拠が一つもない自信」ではまるで意味がありませんが、実際は何かしらの根拠があるはずなのではないでしょうか。
 これまで目標の実現に向けて多少なりとも努力をしてきたのであれば、根拠のない自信ということにはならないでしょう。
 
 だから、もし根拠がないという場合には、「これだけやっているのだから絶対に上手くいく」と思えるような根拠を積極的に自分で作っていくべきです。
 こなした回数でも時間でも、取り組んだ問題集の数でも、成功率でも正解率でもよいのです。それらを周りの人や一般的な平均と比較して、自分の方が上回っていたというのでもよいのです。やれることは根拠として作っておくべきです。
 
 根拠があるということは、それなりにうまくいった状態を思い描けるということでもあります。そうすることでやる気にもつながり、心持ちもウキウキワクワクなど前向きにさせていると、自分の気にしていることが、たとえ小さなことであっても、視界に入ったり体に感じたりするようになっていくものなのです。
 
 
 
 「根拠のない自信」は、前例のない挑戦などでは大切になる時もありますが、一方で、準備さえしていれば高確率で上手くいくはずのことでも、半ばやけっぱちに扱ってしまうというリスクもあります。
 
 自分の大切に思っていることを実現させるためにも、目的や目標の実現に向けて良いイメージを作り、自分を信じてその実現に心を躍らせ、実際に行動に移して楽しいと思ってやりながらも、合わせて冷静さを持って、確固たる根拠と言うべきものを自ら積極的に積み上げていくことが大切なのです。