他社貢献や社会貢献が自己犠牲にならないために

 
 他人のことなどとても言えたものではないが、世の中には自分勝手な人がいる。
 自分のことしか考えず、自分のことだけを優先してしまう。
 また、人にお願いしたり、自分が受け取るばかりで周りには何もしてくれない。
 
 一方、相手のことを考えて行動することができる人がいる。
 相手のためになるように行動できるのだ。
 これをできる人が一生懸命やり続けていけば、他社貢献や社会貢献と言えるものに繋がっていく。
 
 さて、自己啓発本などでは、「他社貢献や社会貢献をすると成功する」というようなことが言われることも多いが、半信半疑で思っている人も同じくらいいるだろう。
 仮に、他社貢献がしっかりできていたとしても、精神的にも物理的にも見返りがないと考えて見る。
 それでは、他社貢献とは良いことなのか、そうでないのかとなってくる。
 
 
 
 結論としては、他者貢献自体は良いことだが、その活動全体のうち9割が他社貢献だったとしても、1割くらいは利益を得ても良いということだ。
 むしろ、一切の見返りもなく無償で与え続けたり、自分のものを持ち出して与えるなどということは、長続きできなくなるし自分自身だけがすり減ってしまうのでよくない。
 他社貢献をするなら、単発や短期間でするよりも長く続いた方がよいので、与えるばかりの自己犠牲を続けていたら、活動の効果も得づらくなってしまうだろう。
 
 また、「利益を得てもよい」という点については、別にお金に限らなくともよい。
 感謝されたりお礼を言われたりするような、精神的なご褒美であってもよいだろう。
 全てを無料・無償にすると疲れるだけなので、お金で利益を得るとしたら少額でも得られれば心理的な救いがある。
 
 他社や社会のために活動したことに対して、自分自身もご褒美を得た方が長く続きやすいのだ。
 自分の身を削ったり疲弊しない程度に、精神的にでも金銭的にでも得るものを得て、自分の足でしっかりと立てた上に周りへの活動できたら、より多くのものを他者に与えられるし感謝も得られる。
 その反対に、無償の愛や奉仕を続けた結果、自分だけ燃え尽きたり引きこもったりするようになってはならないのである。
 
 
 
 人に何かを与える場合は、多少の報酬を得てもよいのだ。
 ただ、他人からの見返りを最初から期待して与えても、そうしたことは見透かされやすいし効果も得づらいものだ。
 
 また、自分が他社貢献した本人から直接評価をされなくても、そんなに気にしなくてもよいだろう。
 周囲の人の中には、必ずあなたのことを見ている人がいるものだからだ。
 
 そして、他社貢献、社会貢献と言うからといって「自分のできる100%をもって、相手や世の中のために尽くさなければならない」と決めつけなくてもよい。
 むしろ、「100%でない、あまり肩肘を張りすぎない他社貢献」というくらいの心構えでやる方が長続きするだろう。
 0か100かで物を考えずとも、やれることから始めればよいのである。