抽象的なことや漠然としたことに向き合う時の考え方 メモ

 
 誰でも日々さまざまなことを考えているだろうが、その中には、「明確になっていない状態」の考えもたくさんあるのではないか。
 例えば、自分にとっての「幸福とは何か」とか、「品のある振る舞いとは何か」ということを考えるのは、普段の生活ではなかなかないことだろう。
 このような、抽象的なことを考えたり、何か漠然としてはっきりとしないことを考える時は、「そうでない状態はどのようなものだろう?」と考えてみると分かりやすい。
 
 「幸福とは何だろう」と考えるなら、不幸な状態を考えてみれば、「お金がない」とか「孤独」ということを思いつきやすい。
 「品のある振る舞いとは何だろう」と考えるなら、品のない状態を考えて見れば、「悪口」とか「他人を貶める」とか「誹謗中傷する」ということを思いつきやすい。
 
 こうして考えを進めると、後者の品の話で言えば、一例ではあるが、「品のある人なら自分の力で自立し、他人に分け与えられる人なのではないか。他人や社会に貢献できる人なのではないか。思いやりのある人なのではないか。人間としての素晴らしさを感じられる人なのではないか。」というように繋がっていくだろう。
 また、この他にも、「自分もそうありたい」と思うような人を思い描いてみてもイメージしやすいだろう。
 
 
 
 「品のある振る舞い」を「品格」という言葉で言い換えてみても、その人やその物に感じられる気高さや上品さについて言う言葉なので、もっと分かりやすいかもしれない。
 品格のある人なら、ただ他社貢献するだけでなく、自分らしさがあり、何らかの自分の専門性や特技を発揮しながら他者貢献できる活動をしている人、などとイメージしやすくなるだろう。
 
 さらに、他の多くの人が持つ共通のイメージとしても、「品格のある人は恐らく他人から尊敬される人だろう。その反対に品格のない人は尊敬されない、されにくいのではないか。」といった共通項などにも気付きやすくなるだろう。
 
 少々強引に話を持っていった部分もあるかもしれないが、このように日常ではあまり考えないようなことでも、「その逆の状態はどうだろうか?」と考えてみることで、いつまで経ってもぼんやりとして答えの出ないような事柄も、少しは具体的にできるだろう。
 これに加えて、「自分だったらどうありたいか」ということを考えてみれば、具体性はもう少し上がるだろう。
 
 
 
 今回の例で言えば、例えば「自分本位で他人から受け取ってばかりの人にならないようにしよう。それよりも、自立した上でさらに他人や社会に貢献きる人になろう。」というような考えに一つ進めれば、今までよりも前向きさや活気が出てくるし、漠然としたことを何となく考えていた時間も無駄ではなくなる(もちろん、何も考えずにただぼんやりと過ごす時間も大切である)。
 
 自己犠牲などは一切する必要はないだろうが、こうした「今の自分ができる範囲で他人の役に立つ活動をしていくこと」や、「自分の特技や自分らしさを発揮していくこと」などの大切さにも気付けたら、今まで何となく過ぎていた時間も無駄ではなかったことになるし、収穫があったことになる。
 
 モヤモヤして悩んでいたことなのであればその考えは「完了案件」となるから、今後は同じことで悩むことも少なくなるだろう。
 
 そしてもし「自分もそうなりたい」とか、「これは自分のためにも他人のためにもなることかな」などのように感じられたのであれば、日々の行動に新しい変化を起こす機会にもなるので、その思いついたことをやってみると良い。
 
 「たまには何となく」考えるようなことであっても、視点を変えてみたり、自戒を込めつつ自分の内側と向き合ってみることで、抽象的なことや漠然としたことの中からでも、今までよりも少しは何らかの道筋を見つけ出すことができるだろう。