頭に思っていることを言語化したり辛い気持ちなどをガス抜きすることは、頭も心も整理されてスッキリして良いと言われている。
簡単な方法では、紙に書き出したり日記をつけると良いとされているが、自分以外の誰も見ることはないので好きなことが書けるメリットがある反面、褒めてもらったり共感してもらえることもない。
最初のうちは自分のノートやメモなどに対してアウトプットしたり言語化していくことでもよいのだろうが、ある程度やっていくと物足りなくなってくるものである。
その結果、やる気が続かなくなり止めてしまうということになる。
こういう時に、今の時代にあるものをうまく活用するとすれば、SNSなどに今日あった出来事などを投稿してみるとよいだろう。
別にフォロワー数や閲覧数が何万も何十万もある必要はないし、親しい人10人でも20人でも良いので、一先ずは「自分のアウトプットを誰かが見る」という環境を作ってみることだ。
Facebookでも何でも、いくつか投稿していけば「いいね」などの反応はついてくるものだし、好意的なコメントもつくものだ。
そうすると、共感を得られて楽しくなってくる。
書く内容は、今まで日記用として書いてたものを他人に見せてもいいように整えて投稿しても良いし、映画でも本でも何かの感想を書いてみるのも良いし、何か気づいたことや発見したことを書いても良いだろう。
こうしたものに好意的な反応を返してくれたり、さらに「参考になった」、「癒された」、「気持ちが楽になった」などのコメントがあれば、それは小さくても人の役に立っていることだと言える。
多少大げさかもしれないが、何らかの社会貢献への繋がり、あるいはそのきっかけとなる行動を起こしたとも言えるだろう。
ただし、今その場にいない人や、顔の見えない不特定多数の人に向ける言葉となるしので、ネガティブな気持ちを一方的に荒々しく吐き出すようなことはしない方が良いだろう。
それは自分のノートの中だけに収めるとか、何かの裏紙に書きなぐるだけ書きなぐって、スッキリしたら丸めて捨てるぐらいに留めておいた方がよい。
また、インターネットにアップしたものは残るし、コピーや保存をされる可能性があることも心に留めておいた方がよい。
まあ、あまりにもネガティブなことを書かない限り炎上することはないだろうが、それよりも、ポジティブなことを書いた方が周りには喜ばれるだろう。
「自分にはこういうことが起こって、こんな気づきがあった」とか、「○○に行ったらすごく楽しかった」とか、「映画の○○を見てすごく感動したのでおすすめ」という方が、SNSでは広く喜ばれやすいのだ。
そうすると、共感されたり、良い評価を得たり、感謝されたりしてコメントがついてくるものなのだ。
それはコミュニケーションでもあり、ある種の交流でありそのきっかけであり、人と繋がった喜びということになってくる。
これまでは、自分の中にある考えを言語化して吐き出していくという行動を通して、自分の内にある自分を浄化していく効果のある活動を一人でやっていただけかもしれない。
しかし、言葉は他人とコミュニケーションを図るために生まれたものでもあるので、自分一人のために使っているばかりではもったいないのである。
例えば、自分の考えを他の人に伝えたり、誰かに話したり、書いたり、見せたり、SNSなどに自分の思いを投稿してみたりする。
相手に自分の気持ちを伝えていく方がより良いし、上手く伝えられるようになれれば尚良いし、そうしたことができるのもまた、言葉の力の凄さの一つでもあるのだ。
そこでお互いに共感し合うことができると、幸せに感じたり、好感を持ったり、癒しやリラックスを感じることにつながっていくのだ。
言語化をすれば、自分がスッキリしてストレス解消になる。
しかしそれ以外にも、他の人と交流ができてお互いに幸せになっていくという素晴らしい効果もある。
だから、最初は紙に書いたり日記に書いたりして一人で始めるのでもいいが、慣れてきたら少しずつSNSなどに書くなどして幅を広げていくともっと楽しくなるし、モチベーションも上がってくるだろう。
それを続けていくと、自分を客観視する力もつくし、文章力や表現力も上達するし、人に伝える力そのものが向上していく。
そこに良い反応があれば、欲求も満たされていくのだ。
自分の考えを紙にまとめたり、自分のためだけに日記を書くのもよいが、「それをちょっとでも広げてみたい」という気持ちや、公開しても大丈夫だと思えるものがもしあれば、他の人にシェアしてみたり、良い気分をお裾分けしてみるとよい。
最初は少しずつだろうが、そこに様々な効果が生まれてきて、今までよりも圧倒的に、「共感」と「承認欲求」という人間が生きていくために重要な要素を得ることができるようになるだろう。