結論としては、トレーニングとして割り切ってやってみるとよい。
そうすれば少なくとも気持ちは楽でいられる。
失敗できないと思うほど プレッシャーになってしまうのだ。
職場や学校などで人間関係が辛いといった場合、それを「コミュニケーションのトレーニング」だと捉えて前向きにやっていくとよいだろう。
仮に職場であれば、職場の人間関係なんてあなたの人生の夢や目標を実現することに比べたら大したことはないのではないだろうか。
それに、プロジェクトの終了や、転職、定年などでその仕事に行かなくなったら二度とその人達に会わないのだから、適当に合わせていればよいのだ。
それを「その場その場で合ったものを当てはめていくという意味での適当」ではなく、「不真面目、だらしない、いい加減という縛りを自分で作ってがんじがらめにした適当」にしているのかもしれない。
些細なことで人間関係にだけ固執してしまうと、心を参らせてしまいかねないだろう。
確かに、人と会って「疲れる」と感じていたり、実際にそのように言う人も多いようにみえる。
もしかしたら人間関係だけに注目し過ぎて、仕事に関係ない部分をうまく受け流していないのかもしれない。
他の人は疲れてないのに同じ環境にいる自分だけ疲れてしまうという場合、その場所において自分のコミュニケーションスキルが十分ではないか、或いは先に述べているように、人間関係だけに過度に注目しすぎている可能性を疑ってみてもよいのかもしれない。
ある集団に所属している時、仕事などその集団でやるべきことやコミュニケーションというものは、ある程度は普通にこなせるというレベルにあることが重要である。
世間一般で言われている「仕事のやり方」や、「礼儀やマナーを含むコミュニケーション全般」というように、ざっくり分けると、世間一般でだいたい共通していることと、自分が働く業界で共通していることと、あなたの会社で共通していることがあるのだ。
こういうことは、満遍なくバランスよく身に付けていないとうまくいかない。
ちぐはぐだったり不足していると、使い物にならないのだ。
また、そういう場所に、異なる環境で生きてきた人たちが共存していたり、それぞれ思い思いに人生を描いたり、実現させたいことがあって生きているのだ。
決して「他人に流されろ」という意味ではないのだが、今いる場所で既に上手くやり取りできている人達を真似てみてはどうだろうか。
自分を中心に大切に生きるのも確かに良いことだが、もう少し大きな視点で見て共通項や違いを押さえておく必要のあるものは、力づくでもがむしゃらにでも、押さえておかなければならないのだ。
でないと、乾いた布が水を吸い込むように仕事を覚えたり、相手の言っていることや仕事の流れやノリなどを分かって自分も付いて行くというような、本来当たり前のようにやらなければならないことを見失ってしまいかねないのだ。
癇癪を起こして退職や転職をしたり、心を病んで一人になった時間を乗り越えたりしても、また同じような状況が出てきた時に同じ轍を踏んでしまうというのは大変辛いことだから、こうしたことを知っておくだけでも、次からはもう少し楽な時間を過ごせるかもしれない。
人間関係がうまくいかない時は、決してあなたの人生の難易度が高すぎたとか、あなたが実力不足だったとか、そんなことを思ってはならない。
ただ「知らない人とうまくやっていくためのトレーニングである」ということを心に留めておいた方が、気持ちも前向きに取り組みやすくなることだろう。