コミュニケーションに物怖じしてうまくできない時

 
 コミュニケーションとは相手があるものなので、時には「こんなこと言ったらどうなのかな」と色々思いを巡らせて、自分から焦れてしまって言い出せないようなこともあるかもしれない。
 しかし、コミュニケーションは言葉のキャッチボールでもあり、自分が投げないとボールが返って来ないし、その返ってくる時の反応によって、相手の気持ちというものが分かるのである。
 
 相手の気持ちが分からないから自分からアウトプットをすることに臆病になってしまうというのもあるかもしれないが、それでもやはり、言葉のキャッチボールをしない限り相手の気持ちは分からないままなのだ。
 コミュニケーションというものは、何がしかのやり取りをするから相手の気持ちが見えるのであって、一言も喋らないのに相手のことが分かるはずはないのだ。
 だから、「こんなことを言ってもいいのかな」とか、「こんなことを言ったら傷つけるかも」と思っていることであっても、実は相手がその言葉で喜んだり、こちらにとって良いことを返答してくれるかもしれないのだ。
 
 日頃から、ネガティブなことばかりをシミュレーションするのでなく、ネガティブな反応もポジティブな反応も、どちらのことも考えてみるということをやってみた方がよい。
 「言わないこと」をただ黙って重ねていくと、かえって誤解やすれ違いが生じやすいからだ。
 「こんなこと言ったら嫌われるかも」と思って言わなかったら、それが例えば10回積み重なったとしたら、果たしてその途端に好かれるように切り替わるのだろうか。
 
 実際にはそんなことはないのである。
 
 
 
 コミュニケーションはお互いの感情の読み合いでもあり、相手の考えや気持ちを慮り、いろいろ推測したり仮説をたてたりしながらそれを言葉にして、相手から反応や情報を得るものだ。
 このやり取りをしない限りは、より正確で理想的なコミュニケーションというものを取ることはできない。
 さらに、自分の頭の中で妄想して、話をできずに遠慮して、ネガティブなことばかり膨らませ続けるという時間は、はっきり言って無駄である。
 
 仮に、相手が嫌がったり怒り出したりして、こちらが謝ったり訂正をすることがあったとしても、そのやり取りは重要な情報である。
 「この人はこういうことは苦手なんだ」、「この話題には嫌な思い出があったんだろう」というような、あなたにとって大切な相手の大切な情報が、自分の中に蓄積されていくということなのだ。
 そうしたことを積み重ねていくから、相手が傷つかない言い方や喜ぶ言い方というものも分かってくるのである。
 
 逆もまた同じことが言えるので、こちらだって自分のことを言われた時に、黙って不機嫌になるなどと言うことはせず、何らかの言葉でコミュニケーションを取った方がよいというのは自明のことだろう。
 当然、初対面とかそれほど仲が深まっていない相手に対して、一言で、一発で、一撃で、最も理想的で正確で最高な正解のコミュニケーションなど、起こりえない。
 もし相手と関係を深めていきたいのであれば、その相手と何度もやり取りを繰り返していくことで、次第に精度の高いコミュニケーションになっていく、というのが当たり前の姿なのだ。
 
 コミュニケーションに心配してまだ起こってもいない妄想を繰り広げたり、お互いに遠慮してフワッとした時間をずっと続けているというのでは、何も意味がないのである。
 まず、「言う」ということは前提として捉えておく必要があり、その次に、伝え方や態度、丁寧な言い回し、傷つけない配慮、遠回しに表現する、などのことを色々と覚えたり使ったりしていく必要があるのだ。
 「この人はなぜ思っていることを言ってくれないのだろう」というままだと、お互いにコミュニケーション不全に陥ってうまくいかないのである。
 
 
 
 以心伝心という言葉もそういった間柄も確かに大事かもしれないが、先ずはコミュニケーションのキャッチボールをしっかり取ること。
 
 そして、相手がどのように思っているのかを言葉で確かめながら自分からも伝えていき、積極的に言葉でコミュニケーションを取っていくことこそが、円滑な人間関係を構築していくため大切なのである。
 
 心配せずとも、コミュニケーションを恐れず積極的に取っていくことで、そのスキルも合わせて上がっていくものである。
 誰だって最初からうまくできる人はいないので、少しずつ練習したり慣れたりしていきながら積み重ねていくと良いだろう。