「報われない努力だった」を回避するには メモ

 
 自分である程度コントロールできる範囲の物事において、「努力が報われなかった」という事態はなるべく避けたいものである。
 そのためにまずできることは、「努力した結果は報われるか報われないかの二択ではない」ということを知っておくことである。
 
 例えば、テスト勉強をした上でテストを受けて、その結果が0点か100点の二つだけということはない。
 なんだかんだ言って70点取れたとか、頑張ったけどすごく難しかったと言っていて30点だった、ということくらいは誰にでもあるはずだ。
 努力が報われなかったというのは「0点だった」ということなのだ。
 
 この例のように、テストで言うなら、勉強した分だけ点数は取れると考えると、やった分だけその努力は報われていることになるのである。
 だから、70点だった人は次は80点や90点を目指して進めていけば良いし、30点だった人はせめて「次回は赤点は取らないようにしよう」とか「追試までに何とか補おう」と思って進めれば良いのだ。
 
 何事においても、ほとんどの場合は、「努力した結果はやった分だけ出る」ものである。
 そりゃあ、自分が望んだ通りの結果にならないこともあるし、順位で判断するとしたら、周りの人たちが物凄くレベルの高い人達ばかりなら自分の順位が相対的に低くなってしまうこともある。
 仮に一日10時間勉強して30点しか取れなかったとしたら、勉強の仕方が悪かったとか、傾斜配点を意識していなかったとか、計画の中で取り掛かる優先順位を決めていなかったとか、何か原因があるだろうから、そこを改善していけば良いのだ。
 
 
 
 結局のところ、「努力が報われなかった」と思ってしまうのは、掲げた目標が高すぎているという場合がほとんどである。
 そして、「何を持って努力の結果を測定し、どのような段取りで進め、どうやってできたと判断するかという基準」を決めていないことも多い。
 その場所では「100点満点で採点して、70点以上で合格ですよ」と言っているのに、あなたは1万点満点で結果を見ようとしていて、満点のただ一択だけで成否を判断しようとしているようなものなのだ。
 
 それなら結果が30点だったら人生のどん底に落ちたような気分になるだろうし、90点を取ったとしても「ここがダメ、あそこがダメ、納得いかない、満足できない」となるだろうし、仮に100点を取ったとしても「もっと広い社会で考えれば、実は自分の100点は本当の100点ではないかもしれない」と思ってしまうのだろう。
 
 その考えだと、自分を自分で下げて傷つけ、「努力が報われなかった」と思い込んでいるだけなのかもしれない。
 1万点の高みに自分の目的や方向性や目標を持つのも良いが、そこに向けて今日やることは、どのようなものになるのだろうか。
 それは、今日どのくらいできたのだろうか。
 
 また、「努力の結果」を出す必要がある時期や日付から逆算して、どのくらいの労力やペースで進めていかなければならないかを考えることも大切なことだろう。
 その中で、例えば今日やるべきことが10個あるうちの10個、3個なら3個やれたということであれば、一先ずのところは上手くいった分だけ喜んでも良いのではないか。
 高すぎる目標と遠すぎる時間軸の中で訳も分からず進めていたら、良い結果が出ずに「努力が報われなかった」となるのは当たり前のことなのである。
 
 できていない部分を数えていけば、やがて近いうちに「努力が報われない」と感じてしまうようになるのは簡単なことだ。
 しかし、できている部分を数えていけば、実は上手くいっていることがたくさんあることに気付けるのだ。
 この考え方や受け止め方の違いが、同じ人生を歩んでいても、楽しく幸せな人生なのか、辛く苦しい人生なのか、ということを大きく分けることになるのである。