自分の性格、欠点、短所は、直したり改めたりする方が良いのか メモ

 
 他人から何か言われて、自分の性格に自信がなくなって、それを直したらいいのかどうしようかと悩む人がいる。
 性格というのは簡単には変えられないものである。
 その人が何年生きてきたのか知らないが、そこまで培われた性格というのを、何ヶ月とか、半年とか、1年で変えようと思っても、なかなか簡単には変えられないものだ。
 
 短気な性格を直そうと思って、5年10年かけて穏やかにしていこうというのならまだ分かるが、そもそも性格というのは普通なら何十年もかけて形成したものなので、相当な努力や工夫や辛さが必要だろう。
 できないことをできるようにすること、しかも自分に根付いているものを変えていくというのは、不可能とまでは言わないが、とても大変なことだと言える。
 より良くなるために少しでも変えていこうと努力をすることはとても良いことだと思うが、完全にガラッと一新してしまうというのはまず無理だろう。
 
 自分の短所や苦手な部分と思える箇所は、特に変える必要もないのではないだろうか。
 多くの人がなかなか克服できないことなのに、自分だけが長い年月をかけて直さなければならないということもない。
 
 まして誰かから「性格変えないとダメだよね」とか言われたりしたことを真面目に受け止める必要もない。
 それだったら最初から余計なことをせず、自分の長所を見つけ出して伸ばしてあげる方が余程良いのだ。
 
 
 
 ところで、例えばあなたの長所は一体何だろうか。
 例えば自分自身の性格の中で良い部分とは、一体どこなのだろうか。
 性格を改めようとするよりも、そこに当てはまる部分を伸ばしたり、アピールしていけば良いのではないだろうか。
 
 一つ挙げるなら、「真面目である」ということは、立派な長所だと思える。
 長所でもあり、特徴とも言えるだろう。
 
 そして、この武器をどのように活かしていくかということが大切のである。
 上手に活かせば長所になるし、上手に活かせなければ短所になるだろう。
 
 念のための確認だが、他人にアドバイスをする人というのは多いが(ここでは、一般的な普通の人とする)、心からあなたを心配して言ってくれる人というのはそれほど多くはないはずである。
 話の流れでアドバイスが口に出たり、受け答えの条件反射で出たりすることもあるし、相手が言ったことすら覚えていないということもある。
 さて、仮にあなたが10年かけて他人のアドバイス通りに性格を変えたとして、果たしてその相手は「言った通りにやってくれたんだね、とても嬉しいよ」などと言うのだろうか。
 
 
 
 他人のアドバイスというのは、一つの意見として尊重するに留めるのが望ましいだろう。
 他人の意見はどこまで行っても他人の意見であり、相手もその時思ったことを言っているだけなのだ。
 仮に相手がその時に考えられるベストを尽くしてくれたとしても、それを真に受けていちいち真面目に対応しても、バカバカしい結果を招くのが世の常だろう。
 
 そんなことより、あなたがどう生きたいのかが大切なのである。
 周りがどう言うかではないのだ。
 あなたが本心から今の自分の性格を変えたいのであれば、それがどんなに大変なことであろうとも変えていけばよい。
 
 自分が行動するための動機が「他人から言われたこと」だったら、まず挫折すると思っておく方がよい。
 他人のうち、特に心から尊敬する絶対の信頼を置く人がアドバイスしてくれたのがきっかけで、絶対にやり抜く決意と決断が生まれたのなら、やるべきであろう。
 
 しかし、そうでないのであれば他人の思い付きなどやるべきではない。
 それなら、性格や短所や欠点といった今気になっていることを、上手に活かしていく方法がないかを考えた方がよい。
 そして、自分が本当にしたい生き方、とりたい行動をやって行ったほうがよい。
 自分の中の性格や、行動や思考のパターンなど、様々ある武器を上手に使いこなしていかれるようになることの方が、余程大切なのである。