なぜ予期せぬ成功はいつまでも心に残るのか


 社会に出てそこそこ長く生きていれば、なぜか「うまくいってしまった」と思える経験をすることが何度かあると思います。
 うまくやろうとして実際にうまくいったことは、その後になってもほとんど記憶に残っていないことすらあるのに、「うまくいってしまった」ことはいつまでも心に残っているのはなぜなのか。

 それは、その成功は、実は失敗だったから、或いは、ある視点から見ると失敗と言える一面が解消されていないままだからです。
 物事自体はうまくいったのに、それが自分がコントロールできる範囲を超えてしまっていた場合、それは成功なのでしょうか。
 例えば、次のような時です。

  ・予測を大幅に超えたけど何とかなった
  ・過分なほど周囲の協力を得られてしまった
  ・自分の実力を超えるほど偶然が重なった

 もしかしたら「今さえ良ければよい」とか「結果オーライ主義」の人には経験として蓄積されることはないのかもしれませんが、普通は習慣化したり継続性や再現性を求めたりして、うまくいっている状態を当たり前の状態にしようとします。
 普段から「より良い人生を歩もう」とか「他人や社会の役に立とう」と取り組んでいる人にとっては。このような経験については良く分かってもらえるのではないでしょうか。

 

 人は、身の危険や生命の危険を感じるなどの何らかの失敗や危機に直面した時に、次は同じ目に合わないようにするためにその時うまく切り抜けた経験を活かして生きていくものです。
 だから、「本当に成功したのだろうか」とか「これで良かったのだろうか」と後になって気にしたり不安になっていると、少し動悸を感じたり、思い出すと汗が出てきたり、頭の中で考えて何分も空白の時間を過ごしてしまったり、寝つきが悪くなったりするのかもしれません。
 その反対に、そもそも見込み通りにうまくこなせた物事や、かつて失敗したことを対策を立ててしっかりと乗り越えたものは、それ以降は「当たり前のこと」として身に付けたり使いこなしたりできるようになるのです。

 予期せぬ成功とは、自分のコントロールできる範囲の外で起こった事です。
 その結果が良かったのか悪かったのかは一先ず置いておくとして、自分の予測を超える結果になるというのは、見方を変えればその後の不安材料や脅威にもなりやすいと捉えることができます。
 だから、一旦は成功を良い感情として受け止めるのかも知れませんが、いつまでたっても気になって心の中に残っているのです。

 とは言うものの、「じゃあどうすれば良いのか」と言われたら、うまくいった時でもフィードバックをしておくことです。
 やってみてネガティブなことが一つもなかったのなら、自信を持って堂々と次に進めば良いし、あったのなら対策して次に備えておけば良いのです。
 いつまでも「なぜ」のまま心に残しておく必要はありません。

 

 さて、なぜか「うまくいってしまった」と気になる時の状態を心理学のツァイガルニック効果の点から見れば、「継続案件は記憶に残り、終了案件は記憶に残らない」となるでしょう。
 うまくいって記憶に残らなくて気にならなくなっても、やったことが身についていなかったり何の学びもなければ元も子もありませんが。

 また、なぜか「うまくいってしまった」後にどうすれば良いかを日本の諺の点から見れば、「勝って兜の緒を締めよ」となるでしょう。
 「ラッキー!」で終わらせてしまったら、次に同じような状況に陥った時に何の応用も利かないでしょうから、すべて一からやり直しになるかもしれませんが。

 一先ずは、ネガティブに考え続けても良いことはありませんから、今回の成功は成功として一旦受け止めて喜ぶなり安心するなりすることです。
 ただし、その後はよく振り返ったり分析してみて、一つでも再現性を見出せるようにしておくのが良いでしょう。