子供が練習しない、勉強しないなんて、当たり前です。
子供は子供でやりたいことがありますし、忙しいのです。
筆者は音楽指導に行くことがありますが、出会った段階で「私、もう自発的に練習してます。先生、ココとココとについてお聞きしたいのですが。」なんて子供はまずいません。
大人でさえ「月謝を払っているんだから、あなたは呼ばれてきたんだから、あなたが私を上手くしなさい、さぁ、今しなさい、すぐしなさい。」という気持ちでやっている人も少なからずいるのですから、「やりたくて参加しているのだろうに、なんかよく分からないけど子供が練習しない」というようなことがあっても別に不思議ではありません。
そんなことよりも、それをすることの楽しさについて教えてあげたり、実際に見せたりする方が速いです。
「こんな感じで演奏できるようになるといいよ」とか、「コレができるとこんなことができるから、楽しいよ」というのを「こうだよ、見てな。」と先にやって見せてあげるのです。
時と場合に因りますが、背中をぐいぐい押して「進め、進め」と前進させてあげるのも指導のやり方の一つですが、先回りして「こっちだよ」と誘導してあげるのもまた指導のやり方の一つなのです。
もちろん、子供がどんなことに興味があるのか、どうなりたいのか(上達したいのであればどんな技術をどのくらいのレベルで欲しているのか)、どのようにコミュニケーションを深めていくのかということも大変重要なのですが…。
自発的にやらないのは、まだ何にも分かっていないか、そこそこ分かっているけどどうやったらよいか(最初の一手)が分からないか、単純に今そのことが楽しくないからです。
子供は、楽しいと感じていたら「それがいい、やりたい、おれ(↘)が先」となるし、放っておいても勝手にやり始めるし、「今話をしてるから!手を止めて!」といってもやめないものなのです。
ところで、思い返していただきたいのですが、あなたの子供の頃はどうだったのでしょうか。
あなた自身は勉強も練習も大変だと思ったり、実は嫌いだったり面倒くさかったりしていたのに、周りの人の中には狭き門や優勝を目指したりして一生懸命頑張っている人がいたら、その人を見て「自分はまあまあだけど、そうやって頑張る姿こそ美しいものだよね(=当事者意識でない)」などと思っていなかったでしょうか。
もし自分自身は熱中することを特に何も経験しないまま、その心のままで大人になって、今子供に向かって「やれ」と言ったって、やるはずもないのです。
あなたが親や先生や指導者になっているとしたら、今まで向き合ってきた物事の中で、たとえその時は大変で苦しいことでもやるべきこととやれたことをきちんと切り分け、その中から楽しさを見つけ出し、何とかして乗り越えて「楽しい」、「やって良かった」と感じられるようになった経験はどれぐらいあったでしょうか。
まずそれが実体験として自分の中になければ、その物事の楽しさを(自分の専門分野を活かした上で)他人に伝えることは難しいのかもしれません。
要は、その物事の楽しさを自分なりの言葉や実体験の話として伝えられることの方が、「やれ」と押し付けたり言い聞かせたりすることに力を注ぐよりも大切だということです。
もちろん、人生のほんのわずかな時間で「すべて」を体験することはできませんから、知識を活かしたり応用したり、様々な人達と協力する必要はあります。
だから、(私達のようにと言ったらおこがましいですが)通常よりも深掘りしたり精通している学外講師や専門家などが必要となったり、呼ばれたりするのです。
そして、子供だって、親や先生に言われたからといって楽しくもないことに何時間もかけるのはただのストレスでしかないはずです。
「やれ」というだけでやらせるよりは、取り組むことの楽しさや、できるようになる楽しさや、上達することの楽しさを教える事の方が大事であり優先されるべきことなのです。
ちなみに、偉い先生なら指揮台やそのもっと後ろに立って指示を出すのでしょうが、筆者はまだまだですから、子供と同じ楽譜を子供と同じようにパート錬などに混ざって、「こうだよ」とやってみせます(そのように取り組む時間の余裕がある、春頃の時期は特に)。
もちろん、「同じように自分もやってみよう」として一歩踏み出したら、結果は上手くいかなくてもそれはそれとして褒めますし、上手くできればちゃんと認めます。
子供であっても大人と同じように、みんな当たり前に「あなたの今やったそれ、できてるよ。凄いじゃない、それだよ、それでいいんだよ。もっとやっていいよ。」と言って欲しいものですし、「あの子はできない子」と言われたくないですし、失敗を人に見られたくないですし、分かっていないことを見透かされたり見下されたくないのです。
様々言いましたが、何よりも「子供には、そうして欲しいと思っている事柄を、あなた自身が楽しくやっている姿を見せる」というのが一番です。
その姿を見たり伝えられたりした子供が実際に自分もやってみた時に、その子供自身も楽しさを感じてくれるのか、自発性を見出して一歩成長するのか、他の何かを思うのかは、その後の事なのです。
まあ、やってみせても、見る姿勢や聞く姿勢が出来ていないとそもそもの集中力もありませんから、右から左に聞き流したり何か別のことを始めてしまったりして「オイッ!」となることもありますが。
大人側が「子供が『やる気』を出すために」と意気込むのは大切なことですが、子供たちは「『その気』になるスイッチ」をいつでも持っていて、それを丸出しにして「押して押して!ほれっ!ほれっ!」と見せられているのに、何にも気付いていないのは大人だけなのかもしれません。