グサッとくる嫌な一言を言われた時にできること

 
 誰でも、嫌なことを言われるのは嫌である。
 
 ただ、自分以外の人にもそれぞれ生きてきた環境があるし、周りの人達から受ける影響もあるので、悪気がなくてたまたま適切でない言葉を使ってしまったり、他に柔らかく言う表現をそもそも知らないということもあるだろう。
 この場合は、冷静に丁寧に自分の気持ちを伝えたり、「本来伝えたいことは、こういうこと?」という確認しながら進めていけば、その後の関係を良い方向に持っていかれる可能性も出てくる。
 
 また、仕事上、安全や健康や命に関わるような重大なものは、大切なことを頭でも体でも理解してもらうために、あえて損な役回りでも心を鬼にして言うこともあるだろう。
 この場合は、その機会にしっかりとその仕事の本質を知って乗り越えておかないと、後で自分も同じような立場になった時に何にも務まらないことになる。
 決して民間のブラック企業と言われるようなものではなく、たかが個人的にグサッとくる一言程度でへこたれるような甘ったれでは務まらない仕事も、世の中にはある。
 
 この辺りの切り分けへの理解は必要だろう。
 
 
 
 しかしそうではなく、相手を貶めたり自分が優位に立つために、わざと言っているという場合も、残念ながらあるだろう。
 
 誰かから精神的にくる一言を言われた、突然怒られた、マウントを取るようなことを言われた、というような嫌な時には、「あの人は何て残念な人なんだ」と考えるようにするとよいだろう。
 後で一人になった時に独り言として言ったり、周りに人がいて口に出して反発できない状況が続いているなら心の中で思うなどして、一時的にでもよいから精神的な負荷を軽減させるなり回避する対応を取った方がよい。
 
 自分は特に何も悪いことをしていないのに、人の嫌がることをしたり、口にしたり、突然怒ったり、一方的に上から物を言ってくる人というのは、稀にいるものだ。
 そういう相手は、「自分の行動を顧みるということに対して少し経験の浅い人」、或いは、「他人にマウントを取ることでしか自分の存在を見出せない人」なのだと考えて割り切ってしまおう。
 
 そうすれば少なくとも、こちらが相手の思う壺になったり、怒りにとらわれてしまったり、打ちのめされて精神的に参ってしまったりすることなく、よりニュートラルな状態を保つことができる。
 そして、自分が本来やるべきことに向けてさっさと気持ちを切り替え、仕事なり何なり今すべき行動をやった方が精神衛生上にも良い。
 
 
 
 また、万が一にでも自分に非があった場合は、まだ反論も反撃もふてくされた態度も取っていない状態にあるので、苛立つ気持ちを抑えて大人の対応をするなり、真摯に誤りを正すという行動も取りやすい(謝って相手の言いなりになってはならない)。
 
 こちらには何も非がなく、相手が実際に残念な人であった場合は、何とかしてとっちめてやりたいと思うかもしれないが、それに対して怒るにもエネルギーをかなり使うし、何よりも馬鹿馬鹿しい。
 
 それに、中には元々怒りっぽい人だっているので、一回一回真面目に対応していたら時間も勿体ない。
 
 一先ずは「冷静さを保つ訓練だ」と思ったり、「反面教師にできることがあれば今後の自分のために知っておこう」と考えるようにして、いちいち動じないように心掛けるとよいだろう。
 
 
 
 畢竟、「同じようにやり返してしまえば、自分もその人と同程度の人間である」ということを自覚しておくことが大切なのだ。
 
 特に、自分を成長させたいとか、高潔でありたいとか、身ぎれいな状態でいたいとか思うのであれば、「中立な気持ちでいる」、「一段高いところから俯瞰する」、「客観的に見る」などといった、精神面で相手を凌駕させない立ち位置の基本は知っておくとよいだろう。
 
 生きていれば、たまには多少の嫌なことくらいあるだろうが、それを「笑って受け流すことができる」という器の大きさは、後になって望む場所に行くために必要となる何らかの水準のようなものなのかもしれない。
 嫌なことを受け流したり、躱したり、平常心で冷静さを保つ、ということは実際なかなか難しいところもあるが、先の例のように「受け流すという行動と、そのための言葉を組み合わせる」ことによって、多少は対処も回避もしやすくなるだろう。
 
 実際、嫌なことを言っている人も、言われている人も、その内容や対処がどのようなものだったか、見ている人は意外と見ているものなのである。
 幼稚なことをしてきた相手に同じようにやり返してはならないと、肝に銘じておいた方がよいだろう。