話し下手が話し上手になるより得なこと メモ

 
 誰でも一度くらいは、話し上手になりたいとか、積極的に話せるようになりたい、と思ったことがあるのではないだろうか。
 「私は話し上手だ」と思っている人は実際どのくらいいるのかわからないが、例えばあなたが話し上手だと思っているあの人も、実は「私は話し上手になりたい」と思っている人かもしれない、ということは述べておきたい。
 それに、話し上手にだけなれば得かと言うと、得な面だけではないこともあるだろう。
 
 結論だけ言ってしまえば、話し上手になることだけを求める必要はない、ということだ。
 では、どのように捉えればよいか。
 そもそも、例えばどんな理由から「話し上手になりたい」と思っているのだろうか。
 
 ・話すこと自体が苦手
 ・自分の感情や考えを言語化するのにただ慣れていない
 ・自分の意見や適切な受け答えと思えるものを、相手に上手く伝えられていない
 ・余計な一言を言って話の脱線や失敗をしたくない
 
 多くの場合は「慣れの問題」だと思うが、もしそれなら無理して話し上手になる必要はないだろうし、一足飛びではなく少しずつでも経験を積んでいかれればそれでよいのだろう。
 
 ところで、一体どのようになることが「話し上手」なのだろうか。
 
 他愛のない雑談が途切れないようになることだろうか。
 大勢の人の前でスピーチができるようになることだろうか。
 他人に言うことを聞かせられるようになることだろうか。
 
 自分は大事な人だと思わせられるようになることだろうか。
 商談をまとめる力がつくことだろうか。
 身近な人の悩みに寄り添ってあげられることだろうか。
 
 
 
 よくあることだが、1対1では自然に話ができるのに、4、5人以上になると聞き役に回ってしまうので、自分も話の中心になりたいということだ。
 世の中には話の得意な人もいれば、まあまあ得意な人もいるし、苦手な人もいるものだ。
 もし話の輪の中に、話の得意な人が誰か一人いれば、自分は聞き役に回るのでも良いのではないだろうか。
 
 一人の人が話し役になって他の人が聞き役になるから、そこでのバランスも保たれる。
 話し役の人だって、何でもかんでも自分の得意な話ばかりではないと思うので、あなたが得意な話になったらその時に話してみればよい。
 少し考えてみれば分かることだが、仮に話が得意な人ばかりを10人集めても、収拾がつかなくなったり、会話のやり取りが成立しなくなるだけだ。
 
 回答の一つとしては、まずは聞き上手になる方が良いということである。
 話し上手になりたいという対象が「会話」ということであれば、会話というものは話す人と聞く人がいて成立することだからだ。
 
 二つ目は、「話し方教室などを探して行ってみる」ということである。
 その道の専門家から学ぶのであれば、その人は確かに話し上手だろうし、それに加えて「聞き上手」であり、「教え上手」であり、「伝え上手」であるからだ。
 
 
 
 ということで、まずは何より、「聞き上手」になるところから始めてみるとよいだろう。
 長い人生を生きていく限り、自分の意見や主張や発表をする機会よりも、実は人の話を聞く機会や、知らないことや不慣れなことを教えてもらったりすることのほうが多いからだ。
 聞き上手になるためには相手の話を聞きながら、頷いたり相槌を打ったりアイコンタクトをしてみたり、聞いた後にメモにまとめたり要約したり質問したりする、ということをしてみるとよい。
 
 特に質問をしてみることは、相手が聞いて欲しいことや会話の内容をより深めることにもなり、話の重要な部分を質問できるようになれば、相手も気持ちよく楽しく話せるようになるものである。
 そして、聞く側も学びを深めることができる。
 そうなると、あなたは聞き上手であるだけでなく、「質問上手」であり、「引き出し上手」であり、「受け答え上手」ということにもなるのだ。
 
 それに、もしかしたら話し上手の人だって、「雑談上手」なだけかもしれないし、「自分の体験したことだけ話し上手」なだけかもしれない。
 よくよく見ていれば、「ただの例え話し上手」だったり、「上から目線上手」だったりすることもある。
 酷いのになると、「話の遮り上手」だったり、「話の腰折り上手」だったりする。
 
 これからは、ただ話すだけとか、話すのが上手になることだけを、コミュニケーションとは思わないことが大切である。
 また、話し下手だからと言って、落ち込む必要もなければ自分自身を責める必要も全くない。
 無理して話し上手にならなくても、聞き上手や質問上手になった方が、より円滑なコミュニケーションができるためのきっかけになることは、言うまでもないだろう。