意識して直感を働かせることはできるか メモ

 
 直感は、一般的には閃きやある一瞬で下した判断などについて言われる。
 当たり前を積み重ねて論理的に進めて、「だから分かった」となることではない。
 前者を直感と考えた時にまず最初に言えることは、直感というのは明らかに論理よりも抽象度が高い世界の出来事ではないかということである。
 
 なぜなら、論理の場合は知識をたくさん集めてそれを論理的に分析していけば良いので、極端な話を言えば計算機にやらせれば良いのである。
 普通は、コンピュータなどの計算機から出てきた数字を見て、「この計算機は直感がよく働くな」とは言わないだろう。
 データを最適に組み合わせて生まれてくるものは、最適解とは言えるだろうが、直感とは言わないのだ。
 
 直感とは、そういったことでは得られない突拍子もないような、しかし数ある組み合わせの最高のものよりさらに凄く見えるものが生まれた時、直感となる。
 だから、直感は論理のレベルよりも明らかに一段高く、場合によっては言語よりも高いとなる。
 頭の中で言葉を巡らして思考して出てくるものではなく、言葉を超えてパッと生まれ出てくるからこそ直感と言われるのだ。
 
 バラバラなピースが1つにまとまる瞬間、これが直感である。
 そのピースのまとめ方が、過去に分かっている組み合わせの中からの最適な組み合わせではなく、それよりももう一段階高いレベルで何か一つのまとまりが生まれたという状況を直感というのだ。
 
 
 
 では、その直感をどのように出すかといえば、まず最低でも知識がなければならないだろう。
 知識がなければ知識を超えることすらできないからだ。
 だからまずは、圧倒的な知識があることが必要となる。
 
 そして、その圧倒的な知識があった上で、それを最適な組み合わせにできるような徹底した思考の過程があることだ。
 さらにその思考の過程の中で、知識の抽象度よりも高い抽象度に何とかして持っていく思考していくことだ。
 これをうまく持っていくことができて、何か新しいものが生まれた瞬間が直感となるが、もし直感を働かせたいということであれば、やり方はそれしかないだろう。
 
 繰り返しになるが、直感を働かせたければ、直感を働かせたい部分に対して圧倒的な知識を習得することである。
 そしてその知識を習得した上で実際に使えるようにし、その知識の最適な組み合わせ且つ最適な解というものを徹底的に考えていくことである。
 それを考え抜いていく過程の中で、論理や知識をはるかに超える抽象度の上から俯瞰するように見ていく感覚を作る、というイメージを持ってやっていくことが手順となる。
 
 ある段階に達した時に、今までのことがパッと一瞬で繋がって「できた」と思えることが直感が働いた時となるが、いずれにしても圧倒的な知識量が大前提となり、さらにその知識の組み合わせを超えたものとなる。
 
 人間にはそのようなことができる能力があり、こうしたことをフルに活用していけば、直感的な閃きを(頻繁にではないが)意識して引き起こすことが可能となるのではないだろうか。