「もうどうしていいか分からない」とならないためにできること メモ

 
 生きていれば、どうしていいか分からなくなる程の困難を経験することもあるだろう。
 そうした時は、「今自分ができることは何か」と自分に問い、できることをできる範囲でやっていくことである。
 他人に対して「あなただったらどうしたい?」と聞いたり、その反対に 他人から「あなたは何をしたいの?」と聞かれたりするようなことを、自分で自分にするのでやる。
 
 ただ、それが分からないから困ってしまうのだが、まあとりあえずのところは、「分からない」で済ますのではなく「分からないなりに自分で考えてやってみる」ということだ。
 
 人生は 答えがないことの連続である。
 自分が向き合うこと一つ一つに対して、今の自分から見ても、世の中から見ても、歴史を辿ってみても、素晴らしい性能のコンピューターの計算結果から見ても、「どこからどう見てもそれが正解です」というものはないのだ。
 
 また、いちいち他人に聞かないと何もできない、分からないというのでは、社会生活が送れないということになってしまう。
 だから、「それが正解かどうかは分からないが、自分なりに考えて対応してみる」ということが大切なのだ。
 「困った時に取るべき行動を選択する」というのは毎日の中でどこかしらにあるものなので、「自分としては何が一番良いのか考えてやってみる」ことを恐れずにやってみて経験を積むことも必要なのだ。
 
 まずは、自分で考えて行動する癖をつけてみる。
 当然、それが上手くいくこともあるし、そうでない場合もある。
 自分で選択した行動を通した中からフィードバックを得て、また自分なりに仮説を立てて アウトプットしてみて、その手応えを見て修正いくことを繰り返すのだ。
 
 こうしたことを一つずつ積み重ねていって、「次」というものに対応できるようになるからこそ、「今自分ができることは何か」という意味も活きてくるのである。
 この文章を読んだからと言って、1、2の3で他人の言うことやアドバイスを聞くのを全部やめ、「これからは全ての事柄について自分で考えて自分で決めます」と言うのをやれと言っているのではない。
 「自分で考えてできることを一つずつ増やしていった方が良い」と言っているのだ。
 
 
 
 もちろん、考え方やシミュレーションのうちの1つとしては、他人の話を聞いたり他人から学んだりすることは意味がある。
 しかし、ただ単に「こうした方がいいですよ」と言われたことをその通りにやって乗り越えたという経験だけでは、よく似たような状況が起きた時に自分の力で対応できないのだ。
 言うまでもなく、他人の力を借りたり協力したりして事をなすこともあるが、その都度一回一回「これでいいですか」と他人に確認したり頼ったりしているままでは、この先の人生で困難が起きた場合どうなってしまうか分からないだろう。
 
 だからまずは、自分なりに考えた上でやってみる。
 その上で他人に聞いてみる。
 そして、自分なりに考えて行動してみてフィードバックをしてみる。
 
 こうしたことを少しでも習慣にしていくと良い。
 
 「何を言えば相手がどう反応するのか」とか、「何をしたらどのような結果になるのか」ということを想像し、それをやった方がいいのか悪いのかを考えて判断するというのは、毎日やることである。
 何度も言うが、さらに自分で考えて実際にやってみたことをフィードバックしていくことが大切なのである。
 時には判断や決断を間違うこともあるが、たとえ傷ついても何とかして乗り越えていくからこそ、様々なことに対応できる深みのある人間として成長できるし、器も拡がっていくのだ。
 
 多くの場合はがっかりしたり落ち込んだりしているだけで終わっているのだろう。
 そうでなく、これからは少しずつでもいいから、「なぜダメだったのか」、「では、次はどうしたらよいのか」、「改善するにはどうしたらよいのか」ということを意識してみることだ。
 
 何かの対応に困った時は、このように自分なりに仮説を立てて行動してみるとよい。
 次の機会にやった時に上手くできれば、それは前の失敗も今の成功も含めて経験に変わるのだ。
 その一つの経験を得るために挑戦をして、自分が取り組んだことの中から得たものや結果を地道に積み重ねていくことが大切なのである。