非言語コミュニケーション能力は必要以上に鍛えるべきか メモ

 
 非言語コミュニケーションはノンバーバルコミュニケーションとも言われ、言葉に依らないコミュニケーションのことを指し、例えば表情、声のトーン、ボディランゲージ、身振り手振りなどが含まれる。
 こうしたことに敏感な人や疎い人、空気が読めなかったり、それを短所のように感じてしまっている人というのはやはりいるものだろう。
 ただ、仕事などで必要なものや必ず使うものを除けば、短所や欠点の克服をしようとするのは時間の無駄になるという点から、特にやらなくても良いのではないだろうか。
 
 相手の思っていることを読み取るということは、例えば表情や雰囲気から読み取ることもできるが、それよりも一般的な言語能力、つまり言葉にして伝える力や、言葉を聞いたり読んだりして理解する力をつけた方がより良い。
 そもそも相手の気持ちを100%の状態で読み取るということは無理なことだ。
 下手とか苦手とか経験が浅いとかでなく、無理なのである。
 
 もしも世間の人たちの9割が、非言語コミュニケーション能力を発揮して相手の頭の中のことを100%の形で理解していて、自分が残りの1割の方に含まれてしまっているのであれば、すぐにで自分もその力を鍛えてできるようになった方が良いのかもしれない。
 相手の考えていることや心の中で思っていることを読み取ることが得意な人は確かにいるものだが、別に自分が苦手だからと言って、卑下したり落ち込んだりする必要はないのだ。
 
 自分がこの先、医師やカウンセラーなど゜を目指すのであれば話は別だが、或いは、テレパシーを日常的に使うような未来がすぐそこにまで来ているというのなら話は別だが、普通に生活する上では相手の感情が読み取れないと必ず困ることになるというような状況はまずないのだ。
 少し辺りを見回してみれば、相手の感情を読み取らなかったり読み取れなかったりする人はたくさんいるが、それでも普通に生活しているのだ。
 
 
 
 それよりも重要なことは、言葉で伝えることである。
 やりたいことや目指したいことがあるなら「やりたい」と言えば良いし、好きなことがあったり好きな人がいるなら「好きだ」と言えば良い。
 そうすることに対して、自分の非言語能力のレベルの高さがどうであっても、相手のその時の感情がどうであっても、自分の思っている気持ちを相手に正直に伝えれば良いので、非言語能力を高める必要は特にないのだ。
 
 「相手がどう思っているのか」とか、「嫌われたらどうしよう」というようなことをいちいち過剰に考えすぎていると、その結果何も行動できなくなってしまうことがほとんどである。
 仮に、自分以外の人の頭の中や心の中が全て把握できるのであれば、あまり楽しくないだろう。
 それはつまり、あなたの頭の中も心の中も100%の状態で相手に把握されていることになるのだから、面白いところは少しもないはずだ。
 
 無理して非言語能力を高めるよりも、自分の思っていることを言葉にして相手に伝える力をつけることの方が何倍も大切である。
 相手の気持ちをある程度察する能力というものはもちろん必要なものだし、良いことだし、相手に寄り添ってあげる優しさも養われていくことになる。
 しかし一方で、過剰にやりすぎると心配事の種が増えていくばかりになるのだ。
 
 実際のところ、お互いに非言語能力のみでコミュニケーションをして、お互いに納得できる形で物事が滞りなく完結することはないと言っていい。
 自分が相手に対して好意を持っていることくらいなら伝えられるかもしれないし、同じようにそれを察することができるかもしれないが、肝心な部分は言葉にしない限り伝わらないのだ。
 非言語能力というのは確かに重要な能力だが、最後の決め手となるのはやはり言葉なのである。