気楽に生きるためには、「それは普通だ」と考えるのがよい。
例えば、自分の子供がだらしなかったり、勉強したがらなかったりするのを見て親が困る、というのはよくあることだと思う。
しかし、子供はだらしないし勉強したがらないのが普通、もう少し言えば、ほとんどのことがまだ知らないことでありこれから積み重ねていくという存在なのである。
普通のことに対して「それが普通」とか「みんな同じだ」と思えるようになることで、物事の受け止め方も大きく変わってくるものだ。
普通だと思っているから、少しのことでいちいち腹を立てたり感情的にならなくて済むし、何かほんの小さなことができた時でもそれを見逃さずに褒めてあげることができる。
大人であれ子供であれ、誰かから褒められた行動というものは無意識のうちに増えていくものなのだから、そこから良い行動が増えて積み重なって強化されていくためにも、「それが普通だと思っていたのに、よくできたね」と思える点に気付く機会が増える方が断然良いわけである。
反対に、一方的に縛り付けてしまうと相手の心も穏やかではいられなくなってしまう。
例えば、「だらしないのはダメなこと」、「勉強しないのはいけないこと」というようなことだ。
そうなると子供の方も、「自分はダメな人間だ」というイメージで生きることになり、結果として負の連鎖が生じてしまう(ただし、不正や故意の嘘など、「ダメなものはダメ」としなければならないことも当然ある)。
繰り返すが、だらしないのも勉強しないのも普通だと思える方がよい。
大人だって片付けが苦手だとか、三日坊主だとか、物覚えが悪かったりすることがあるのだが、それも普通だしみんな一緒なのだ。
「それが普通だ」と一旦受け止められるようになれれば、誰を責めることなく心穏やかになり、事あるごとに自信を失わなくて済むのである。
こう言ってしまうと、「それが普通」なんて言っていたら怠け者になって、勝負に弱くなって、ゆるい人生になってしまうのでは、と思うかもしれないが、そんなこともない。
いつも「三日坊主で何事も続かない」と自分を否定していたら、一念発起して「ダイエットしよう!」とはならない。
そこを「三日坊主の人が多いのは普通だ」と思えれば少なくとも自信は失わないし、「こんな体になりたい」という希望も維持されるので、「ちょっと始めてみようかな」くらいにはなるし、やってみてやっぱり3日目にキツくなっても「それも普通だ」と踏ん張れるのだ。
そうした現状を肯定するための言葉が「それは普通だ」なのである。
現状を肯定することで、人は変化していくのだ。
そのことを「普通」と思うか「ダメだ」と思うかで、その後が大きく変わってくるのである。
また、「誰の人生にも辛いことはあるが、それが普通なんだ」と思える人は、幸せを感じやすい。
ストレスにも強く、人との関わりも深く保てて、人生の満足度も高くなる。
なぜなら、「それは普通だ」と思わされる時は生活のあらゆる場面にあるし、その言葉を実際よく使うことにもなるからだ。
例えば、先生や上司が怒るのは普通である。
それが仕事だからだ。
そんな中でも要領良く、或いは地道に結果を出したり、良好な人間関係を築いていかれる人はすごいのだ。
例えば、車の運転中に渋滞でイライラするのは普通である。
みんな早く家に帰りたかったり、快適に目的地に着きたいからだ。
そんな中でも落ち着いて運転している人や、先を譲ってくれる人はすごいのだ。
このように、ちょっとしたことで気付ける場面も使える場面もいくらでも見つかるだろう。
もっと言えば、自分の思い通りに事が運ばないのも、お金や健康に不安があるのも、人間関係に悩みがあるのも、普通なのだ。
どんなに理想の自分になっても風邪を引くし、怪我もするし、人から嫌われることもあるし、ある程度年を取れば持病の一つくらい出てくる。
自分の人生を呪いたくなるような時もあるかもしれないが、生きていれば誰だって悩みの1つや2つ抱えているのは普通なのだ。
「それは普通であり、みんな同じような悩みを抱えながら生きているのだ」と考えれば、今までよりは気持ちが楽になり心も落ち着きを取り戻していく。
そうすると、不安があっても前を向いて生きていけるし、周りを見て「そんな中でもみんな笑顔で一生懸命頑張っているんだ」と思うと優しい気持ちにもなれて、「自分も頑張ろう」と元気も湧いてくるものである。