コミュニケーションの上手い下手は気にしない メモ

 
 よく、「自分はコミュニケーションが苦手なので」と遠慮してしまっている人がいるが、みんなそうなのであまり気にしないことだ。
 その反対に、「私は人を丸め込む天才です」とか、「どんな人でも説得できて、営業しても契約率100%です」とか、「出会った人全員から信用されています」という人はほぼ見かけないのであまりないと思う。
 誰だって、会社であれば自分が20代の時に50代ぐらいの上司と話すのは緊張するだろうし、スポーツであれば憧れのプロ選手と会ったら緊張してうまく話せないとか、そういうことがあっても不思議はないのだ。
 
 重要なのは、「緊張しないようにしよう」とか、「○○が苦手」とか、「これじゃ絶対失敗しちゃう」というような苦手意識を持てば持つほど緊張が強まって上手くいかないということである。
 だからこそ、「みんなそうだからあまり気にしなくていい」と言っているのだし、普段から「みんな苦手なんだから普通に話せば良いのではないか」という気構えでいることが大切なのだ。
 様々なことについて「型」や「所作」や「心構え」というものがあるが、それと同じように「みんな同じ」という楽な気構えでいることで、自然と緊張感も落ち着いて楽に話せるようになるのだ。
 
 また、コミュニケーションだけに限らず、何しても「○○が苦手なのでもっと上手になりたい」というような「欠点を直したい」という人が多い。
 自分がやりたい分野の知識や技術などは深めたり上手になったりすることが必要(というか当然)だし、その境地を追い求めたいという気を持つのも自然なことだろう。
 しかし、コミュニケーションのような「様々な状況や環境においてその都度対応が変わるようなことが苦手」というのは、みんな苦手なので自分も苦手でも構わないのではないだろうか。
 
 また、ほとんどの人は話し下手だし、人前に出ると緊張するものだろう。
 もし何とかしたいのなら、徐々に場数を踏んで慣れていけば良いことだから、苦手だからと言って自分を責める必要もない。
 それに、普段使いのコミュニケーションなら、取り立てて上手に話す必要もないのではないだろうか。
 
 
 
 コミュニケーションにおいて必要なことは、「上手に話す」とか「流暢に話す」とかいうことではない。
 それよりも、苦手なら苦手、口下手なら口下手で構わないから、「思っていることが言葉にできる」とか、「伝えるべきことをきちんと相手に伝えられる」とか、「心をオープンにしてやり取りできる」などということの方が大事なのだ。
 たとえ話が下手でも、あなたの良い面や長所はたくさんあるはずなのだから、「コミュニケーションが苦手だから全部ダメ」ということにはならないのだ。
 
 また、こういう問題の場合は、今の環境にあるままで考えるからよく分からなくなることもあるだ。
 筆者が渡米していた時に気をつけていたことは、「自分の伝えたいことを英語で1単語にしても伝わること」であった。
 つまり、思っていることが伝わればよいので、何かしてもらって嬉しいなら「ありがとう」が伝われば良いし、食べ物の好みを聞かれた時にその食べ物が好きだったら「好き」が伝われば良いし、トイレに行きたいなら「トイレ」が伝われば良いのだ。
 
 そう考えれば、仕事でのコミュニケーションにしろ人間関係でのコミュニケーションにしろ、同じことであろう。
 上手に伝えられなかったと思っても、少しどもってしまったとしても、「伝わっていることが重要」なのである。
 別に大企業の社長達が1500席の大ホールに満席で集まったところにプレゼンをするのではないし、1万人の大観衆の前でスピーチをするわけでもないのだから、変に苦手意識なんて持たずに気楽にやれば良いのだ。
 
 コミュニケーションが下手だと思うのなら、熱心に、丁寧に、何度でも伝えることだ。
 もしその言葉で伝わらないのであれば、相手の立場に立って説明したり、図解にしてみたり、身振り手振りしてみたり、メールや文章でフォローしたって良いのだから、下手なら下手なりに工夫して伝えようとすれば良いのだ。
 
 今の時代であれば、コミュニケーションが下手でもそれほど困ることなく生きていかれる時代でもあるだろう。
 結局のところ、コミュニケーションの上手下手だけで判断するのでなく、「自分の思っていることがきちんと伝わる」、「相手の話を聞いてきちんと受け止められる」ということが重要なのである。