誰にでも、早く忘れたいトラウマのような嫌な体験というものはいくつかあることと思う。
結論から言えば、安心できる場所で信頼のおける人に話をすることで辛さを鈍化させていく、ということである。
ただ、一方で、忘れられない記憶とは重要な記憶でもあり、その人が生き延びるために重要だと思う記憶を脳が優先して保存していることもわすれてはならない。
とりわけ脅威や命の危険に関する記憶は保存されやすく、しかも、また同じような危険が起こった時にそれを回避したり、その出来事をきっかけとして生き延びるためのヒントを得られるように、いつまでたっても忘れられないくらい強烈に記憶するのだそうだ。
だから、早く忘れたいような辛くて嫌なトラウマ級の記憶について、ほんの些細なことでもそれを思い出させるきっかけとなる物事があった場合、脳は私達を守るためにその記憶を取り出す。
そういう仕組みがあるため、一番忘れたい記憶こそが脳にとって最も重要且つ覚えておかなくてはいけない記憶となるのだ。
普通に生きている一人の人間として、死に直面するような強烈な恐怖や、生きているのが嫌になるくらい辛い出来事は、いち早く忘れたいと思うのが通常だろう。
しかし、生物としては自己保存のためにそれを記憶することが重要なので、ある種矛盾したようなことになっているのである。
もう少し簡単に言えば、「忘れたい記憶とは、生物学的には重要な記憶」と言える。
要は、時々思い出すような嫌な記憶は、脳があなたを守るために、「同じことが起きないように再体験をさせて、どのように対処したのかを思い出させている」のである。
脳にしてみれば、生き延びることとその確率を高めるために進化してきたのだから、そのために辛い記録を時々思い出させているのであって、生きることに幸せを感じさせるためではない、というのが解釈の一つであろう。
私達の側からすれば、辛くて嫌で強烈な記憶を思い出すのは精神的にキツいから、もう少し幸せだったことも記憶しておいてくれたっていいのに、とは思うが。
さて、嫌な記憶を思い出してしまうことについては、基本的には思い出してしまうこと自体が悪いのではない。
その記憶を思い出すことで、非常に不快な恐怖や不安を追体験すること(そして後を引き摺ること)が問題なのである。
対処法の一つとして、安全だと感じられる状況で恐ろしい記憶を取り出すようにするとよい。
例えば、信頼できる親しい友人やセラピストなどに対して話してみることで、時間をかけて記憶が変化していき、脅威が減っていくのである。
安心できる環境で話すことで、恐怖や不安と紐付いていた過去の嫌な記憶が少しずつ安心と紐付いていき、「思い出しても大丈夫だ」と思えるようになっていく。
言語化して話していく過程で安心感を得て、記憶自体も変容していくということが起きるのだ。
こういうやり方も過去の嫌な記憶との向き合い方の一つになる。
過去の嫌な記憶やトラウマ級の出来事を封じ込めようとすることばかりが対処法ではないのだ。
ただし、同じことを何度も話すと記憶が強化されてしまうし、同じ人にばかり話してしまうと聞いてもらう側にも悪いので、一度話して忘れるようにするとよいだろう。
「嫌な記憶を思い出さないように頑張る」というのは必ずどこかで無理が出てしまう。
だから今回のように、「どこかの時点で言語化をして安心感を得て、それを少しずつ受け入れていく」ということも一つの対処法となる。
少なくとも、「忘れられない嫌な記憶は、同じような危険を回避して生き延びるための脳の仕組み」だと客観的に分かっただけでも、少しは腑に落ちて気楽になれるというものである。