どのように生きるかをどのように考えるか


 「一年の計は元旦にあり」と言われますが、正月も三が日を過ぎ、仕事始めをした方もいるかと思います。
 さて、「どのように生きるか、何をしたいのか、どういう人生を送りたいのか」をよく考えることは大切ですが、閃きややる気が湧き上がったとともに無茶な目標を立てがちになり、後になって後悔することもあるでしょう。
 なぜなら、例えば「自分は穏やかに生きたい」、「生きているうちに世界一周旅行をしたい」、「将来は医者になりたい」などという方向性や目的をある程度定めておかないと、その下に位置する目標を設定することはなかなか難しいからです。

 また、「とりあえず今はコレを目標にしたい」という、近いうちの目標が明確でも、「自分はどういう人生を送りたいのか」などということについては、現時点の力ではいくら頑張ってイメージしたり言葉にしようとしても、ぼんやりとしたまま定まらないこともあるでしょう。
 ですから、その時の状況や場合に合わせて、「目標を(或いは"目標として")設定する/しない」という判断も含めてみると良いでしょう。

 ただ、もし幸せな人生を送りたいのだとしたら、「それはどのようなものか」、「そのためにどのようにしていくか」などということを、少しくらいは自分で考える必要はあるでしょう。

 

①目標を設定する/しないの判定について
 ●目標設定をした方が適切な場合
  ・時間が線引きされるもの
   日程、期日など、「この日までに〇〇」といわれるもの。

  ・「かたちとして結果が得られる」もの
   合否、順位、ランク、数値、賞など、「数や有無で表せる」もの。

  ・「自分の力でコントロール可能なもの」
   副業も込みで収入を上げたい、昇格試験に受かりたい、資格を取りたいなど。

  ※段取りや努力が必要な分野は、積極的に目標設定をしていく方がよいでしょう。


 ●無理して目標設定をしなくてもよい場合
  ・人生、生き方、価値観などの大局的なもの、

  ・感覚、感情、情操、器の大きい人になりたいなどの、心の機微に関するもの。

  ・趣味、楽しみ、のんびりと自由に生きたいと思っているような分野のことなど。

  ・他人の審査や判断に委ねられてしまうもの

  ※ただし「その過程でどう在りたいか、どうなっていたいか」などという点ついては、目標やそれに近いものや経過点として絞り込めることもあるので、設定した方が良いこともあります。

 

②幸せな人生を考えた場合に目標の最終地点として設定しない方がよいもの
 結論から言うと、物欲に関連するものです。
 人が自分の願望や欲を満たして幸福感を得る時、その幸福は大きく三つに分けらます。

 (1) 心と体の健康に関する幸福
  セロトニンの分泌や活性化によって得られる幸福と言われます。
  病気にならない、規則正しい生活、運動して爽快感を得るなど。

 (2) 愛や人同士の繋がりに関する幸福
  オキシトシンの分泌や活性化によって得られる幸福と言われます。
  大切な家族・恋人・友人がいる、人間関係に恵まれる、仕事がある、社会の役に立っているなど。

 (3) お金や成功に関する幸福
  ドーパミンの分泌や活性化によって得られる幸福と言われる。
  お金や成功の他に、地位、名誉、達成、勝利、また物欲なども、ドーパミンが分泌されて満たされる。

 

 まず、(3)のドーパミンは目標など何かを達成した時に出る物質なので、そもそも目標を設定しないと手に入りません。
 目標がある一定の段階に達した時に、挑戦をして乗り越えた達成感から来る幸福感となります。

 その目標を設定して目指すところや達成内容によっては、今までの人生よりも少しは良くなるのでその取り組み自体は良い事と言えますが、ただしその中には、「次はより高い段階を求める」というエスカレーション効果もあります。
 それはある種の「依存」とも言えますから、もっと強い刺激がないとイライラしたり、失敗ばかりが続くとまったく興味がなくなったり、燃え尽きてしまったりするという一面も持ちます。

 ですから、計画の立て方や、小さなステップを積み上げていくやり方にするとか、日々の取り組みや、やる気の維持など、その都度工夫が必要になります。
 多くの人は大きすぎる目標を立てて2~3回やって、粘り強く継続や反復をしないと成果が手に入らないと知りながら、うまくいかないと腹を立てたり諦めたりします。
 しかしそれでは勿体ないので、ドーパミン分泌の仕組みを適度に学んだりして、目標達成の活動を継続させることに応用した方が良いでしょう。

 また、特にアルコール、ギャンブル、薬物等の「手軽に得られる幸福感」には依存症を招くものも多いです。
 その上、ドーパミン的な幸福を得るための活動との相性は最悪です。
 気分転換だと言いつつヤケ酒をして、気付けば深酒になり、翌日はいつもどおり体調を崩すなどというのは想像するのも簡単ですし、他の二つは例を挙げるのも恐ろしいことです。

 その時は簡単に得た幸福感で気分良く過ごせていたとしても、一定時間が経つと「もっと今まで以上のものを」と求め続けるばかりになるのでキリがないのです。
 それはドーパミン的な幸福の目標で言っても、「もっとお金を」とか、「もっとたくさんのもの、もっと高価なものを所有したい」というような欲ということになるので、こちらも同様にキリがありません。

 

 さて、話は(1)、(2)の二つに変わりますが、(1)、(2)の幸福なしでは、(3)はまず成立しません。
 例えば、頑張って1億円を手に入れても病気になって動けなければ体の方が辛いでしょうし、大切な人がいなくて孤独のままでは一緒にお金を使って楽しむこともできませんから、寂しい人生となることでしょう。

 特に病気を患っていない人は、普段は健康であることに気付きにくいものです。
 また、そのことを「有難い」と感じていない人も多いことでしょう。
 だから不摂生をして、あっさりと健康を手放してしまいます。

 自分の事を大切に思ってくれる人や家族がいつもすぐ近くにいるのは有難いことです。
 人と人との素晴らしい繋がりを得られることは、望んだってなかなか難しいことのはずです。
 それなのに、そのことに気付いていない人は多く、大切な人に辛く当たったり、周囲と比較して羨んだり嫉妬したりしています。

 (1)、(2)の幸せは、「なるようになる」とか「実はすぐそこにある」とか、「今まさに享受されている」ということに気付いて「感謝」すれば手に入るものです。
 こういうことに気付くだけでも、「実は自分は幸せだったのだ」と気付くことに繋がります。
 そして、そこに努力や目標設定は必要ないということも分かります。

 また、(3)のように、「もっともっと、まだまだ足りない」とか、「次はもっと大きな獲物を」というようなエスカレーションの効果はありません。
 同じようなことであっても何度経験しても幸福感で満たされるし、自分がその幸福な体験のことを覚えていればその効果も続きます。
 ですから、やがて長い時が経ってその当時のことを振り返った時でも、その頃の自分や周囲にいた人達との幸せな時間を過ごした記憶を思い出すことで、あらためてまた幸福感を得ることができるのです。

 これが、仮に物欲で一時の幸福感を得られたとしても、こうはならないでしょう。
 しかも、それが独り善がりで得たものであればあるほど、ほとんどの場合はその幸福感の規模も小さいし、効果も持続しないのです。

 ということで、「どのように生きるかをどのように考えるか」の一先ずの着地点としては、

 ・目的や目標の決定と達成に対して適切な条件を判断して設定し、
 ・依存症になるような事態は極力避け、
 ・(1)、(2)の幸福感を土台として得られるように主体性を持って取り組む

のが良いでしょう。