プロになれる人、なれない人、タイミングを逃す人

 
例えばシンガーソングライターになりたいとしたら、
「どんな曲があるんですか?」と聞かれた時に、
「まだ書いていません」という状態だとなれないだろう。
 
誰からも頼まれてもいないのに、
まだ自分の事を知っている人が世の中に一人もいないのに、
「既に100曲ぐらい書いてます」と言えるくらいならなれるだろう。
 
作ったらその後は、YouTubeでも何でも公開してみて、
世間の反応を見ればよいのだ。
実際に業界人の目に止まり世の中に出た人もいる。
 
まあ、いきなりそこまで夢を膨らまさないとしても、
自分の頭の中でただ想像するだけでなく、
実際にアウトプットをしてみて世の中に出してみる、
ということは試しておいた方がよいだろう。
 
誰にも見せなければ永久に人の目には触れないので、成功することもないのだ。
 
 
 
筆者もこの例に違わず、ただ自分の書きたいように譜面を書いたり、
先人たちの素晴らしい楽曲を脳内再生して譜面に書き起こしてみたり、
それを編曲して遊んだりしていた。
もちろん編曲は著作権に触れないよう、個人で楽しむ範囲で、である。
 
そうこうしていると、何の前触れもなく仲間内から連絡が来るものである。
渡米して現地の音楽を学び、昼食をとって一息ついたある時のこと、
「帰国したら手伝ってもらえないか?」と電話が掛かってきたのだ。
 
日本なら深夜の時間帯である。
しかも、想像もしていなかった人から信じられないような経緯で、
そのタイミングでなければ電話に出られない時をまるで狙ったかのように、である。
もちろん二つ返事で承諾し、そして新しい扉を開けた。
 
過ぎ去ってしまえば、そんなものである。
 
しかし、うまくいくためには、自発的に学んでアウトプットし、
目的や目標を持って少しずつでも日々自分を磨き、
人当たり良く、フットワークを軽くしておく必要がある。
そこは外してはならない。
 
よくある話だが、
「富士山の頂上は、登ろうとしてしか登れない。
たまたま散歩してたら頂上にいました、ってことはあり得ない。」
というものがある。
 
まさにそれである。
 
 
 
世の中に出てしまったら、尚更自分を磨いていかなければならない。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」を地で行かなければならない。
きっかけや秘訣を聞かれても、「たまたま偶然に」と笑顔で言うしかないのだ。
 
自分の人生で何を差し置いても成し遂げたいことがあるのなら、
そういった謙遜の言葉は真に受けてはならない。
さらに、現在の自分を取り巻くマイナスの影響に屈してはならない。
 
誰からも認められなくても、その時点の「誰」なんて知れている。
馬鹿にされたり冷やかされたりしても、周りが足を引っ張る人ばかりだとしても、
愚痴ばかり言っている人がいたとしても、そんな奴らは暇人である。
 
それよりも、自分の手を動かし続けること。
「チャンスが来たらそれを狙ってもぎ取れるように実力をつける」とかではなく、
チャンスが来たと同時にその結果があるとか、即時対応できる力が大切なのだ。
 
 
 
自分の人生で成し遂げるべき事だけは、他人に譲ることを決して許してはならない。
脇目も振らずに自分を磨くことに集中し、小さな実績を作り続けることである。
悪い習慣ごとや無益な遊びをして過ごす時間は、この際諦めることをお勧めする。
 
そして、薄く、小さく、頼りない扉を開け、
細く、薄暗く、舗装もされていない道が運よく開けた後は、
歯を食いしばって頑張る様を他人に見せることなく、
明るく、元気に、にこやかに、親切に、人生を楽しみ、
力強く進んで行かなければならないものなのである。