もっと自分を認めて肯定するための考え方 メモ

 
 ポジティブ心理学においてのポジティブとは、「肯定的」という意味である。
 一般的なイメージとしては確かに、前向き、明るい、積極的、行動的というような意味合いのイメージもあるのだが、肯定的という意味もあるのだ。
 その点から見ると、内気な人や落ち込んでいる人が頑張って明るく振る舞おうとするのは、ポジティブではなくとてもネガティブなことなのである。
 
 ネガティブな人が無理をしてポジティブになるメリットはそれほどないだろう。
 そもそも、「賛成か反対かで言ったら賛成」とか、「そうです」とか、「それで良い」というのがポジティブな意味合いなのだから、ポジティブ思考の視点から見ると「ネガティブな自分でもいい」と考えるのが正と言えるのだ。
 
 「私はネガティブだからポジティブに変えていかなければならない」、「本当の自分はダメなので、もっと前向きな人間に変わらなければならない」というのは自己否定をしていることになるので、ポジティブとは言えない。
 「今の自分を否定している」ということは、それはネガティブ思考なのだ。
 そうではなく、「自分はダメだし短所も欠点も持っているが、それでもそれは自分なので、そこを認めた上で生きていこう(対処していこう)」というのがポジティブ思考なのだ。
 
 「明るく陽気に楽しく生きよう!」は、ポジティブ思考ではない。
 それはただのパリピである。
 または、もともとポジティブな性格の人が自分を肯定したり奮起させようとしている状態である(それはそれで良いと思う)。
 
 「ネガティブな人がポジティブに生まれ変わろうとする」のがネガティブ思考なのだ。
 結果として疲れてしまい、うまくいかなくなって落ち込んでしまう。
 その流れでは、無理やりポジティブ思考に切り替えたところで良いことは特に何もないだろう。
 
 
 
 例えば、コップの中に水が半分入っている状態を、「半分も入っている」、「半分しか入っていない」といった受け取り方の違いで、ポジティブかネガティブかを判定するということがある。
 ポジティブ心理学においては「コップに水が半分入っている」と見るのだそうだ。
 
 そして、個々のその時の感情や主観でなく、ゆるぎのない事実を見る。
 主観を排除して、中立的に客観的に見た上で、最終的に冷静に判断する、ということだ。
 
 世の中では「ポジティブ=前向き」という物の見方や訳し方ばかりが定着しているようなのでそう思われがちだが、実のところは「肯定」、「あるがまま」、「それでいい」ということが本質であり、コップに水が「半分しか」なのか「半分も」なのかなんて、どちらでも良いのである。
 
 「コップに水が半分入っている」と冷静に事実を受け止めることが最もポジティブなのだ。
 ということで、ポジティブ思考をしたいのであれば、無理して前向きさを作り上げるのではなく、中立的な心持ちを大切にした方が良いと言える。
 
 ただ、ネガティブとポジティブという2つのベクトルがあることは分かりやすいことなので、何でもかんでもネガティブに偏るのではなく、ポジティブな方を見ていくのは良いことである。
 見方としてネガティブかポジティブかという時は、ポジティブな方を見ていくのは良いことなのだ。
 
 それを前提として自分自身のマイナスな部分や欠点を認めていかないと、一人の人間としてはその後の変わりようがないのだ。
 だから、もっと自分を肯定していくということが大切なのだ。
 
 
 
 生きていけば、不得意なことやコンプレックスになるようなことも確かにあるが、そんな時は「何かができない自分も自分だ」とありのまま認めることだ。
 「そんな自分の一面もあるのだからしょうがない」と一旦は受け入れないと、次の「じゃあどうしようか」というところにも行かないのだ。
 そこで自己否定から始めてしまうと、何かを改善するにしても、「自分は何てできない人間なんだ」という前提を持ちながら練習を重ねてしまうことになるので、改善も上達もしていかないのである。
 
 「マイナスな部分」というのは、何かで、どこかで、誰でも持っているものなので、一旦は受け入れた上で、「そういう部分もあるけれど、コツコツ積み上げて行こう」というように考える。
 そうすることで今よりも成長する可能性も高まるし、新しいことに挑戦することもできる。
 そうしてプラスとなったところに努力を掛け合わせていくことで、何倍もの結果や成果となって自分に返ってくることになるので、自分を責めて傷つけたりせず、「まずは自分自身を肯定する」ということが大切になるのである。