良い依存症というものは存在するのか メモ

 
 依存症と聞くと、あまり良くないイメージを想像することが多いのではないだろうか。
 例えばアルコール、薬物、ギャンブル、ゲーム、スマホなどが挙げられ、やりすぎると良くないことをやってしまう。
 身体面にしろ精神面にしろ、何らかのマイナスな影響を及ぼしたり、お金や時間の浪費をしたり、健康を害したり寿命を縮めたりしてしまうことになる。
 
 ところで、楽しいことは依存症にならないのだろうか。
 もし楽しいことが依存症になるのであれば、誰もがその手順を知って上手に活用したいと思うことだろう。
 ただ残念なことに、楽しいことは依存症にはならないと言われており、つまり良い依存症はないことになる。
 
 その代わり、依存症になるには条件があって、それは基本的にはドーパミンの分泌を刺激するものだと分かってきている。
 そしてドーパミンで欲求が満たされる行為の特徴として、「同じ快楽を得るためには、次第に量が増えていく」ということである。
 しかも、楽しいか楽しくないかは別として、欲する量だけがどんどん増えていってしまうというのだ。
 
 お金稼ぎの依存症なら、最初は1ヶ月に1万円稼げただけでも嬉しいのに、今では100万円稼げているのに先月より収入が増えてないと嫌だと思うだろう。
 飲酒の依存症なら、最初はビール1缶で満足していたのが、今では3缶飲まないと満足できないだろう。
 
 真の意味での楽しいことは人から信頼されたり感謝されることなのに、「ありがとう」と言われてもそれが2倍3倍と増えていかなくても満足できてしまう。
 それは、オキシトシンという物質が人同士の繋がりなどの癒しによって分泌されるから、依存症にならないのだ。
 
 また、自然が豊かなところに行って清々しい気持ちになったり癒されたりしても、それが2倍3倍と増えていかなくても満足できてしまう。
 それは、セロトニンという物質が癒しの効果によって日常で当たり前のように出ている物質だから、依存症にならないのだ。
 
 要は、ドーパミンこそが依存症の原因なのである。
 一時的で快楽的な欲求や衝動はドーパミンの分泌によって以前満たされたことがある行動に多く、それは確かに楽しいことでもあるだろうが、毎回毎回要求される量が増えてキリがないのだ。
 
 それよりも、セロトニンを要因とした清々しさや気持ちの良さや、オキシトシンを要因とした癒しや人同士のつながりやコミュニケーションによる癒しといったことを中心に生活した方が満たされやすい。
 また、ドーパミンを分泌させる行動も割合として少なくなっていくため、全体のバランスから見て依存症になる可能性も低くなる。
 ドーパミンで満たされるために必要な量だったその分は、同じ量のセロトニンとオキシトシンがあれば満たされるのだから、そちらの幸福を求めた方が幸せになりやすいし、そうなるような生活をしていった方が良いと言えるだろう。