模倣の良さと深さについて


 何か新しいことを取り入れようとしたり、練習をして上達させたいという時は、模倣から入るとよいです。

 武道やダンスなど体を使うようなことなら見本と同じように真似たり、きれいな字を書くなら手本に沿ってなぞり書きができる教材を使ったり、パソコンなどで何か初めての書類を作る時やプログラミングの技法を学ぶ時にはテンプレートを使ったりすることでしょう。

 ゼロから思いついて自分で形にしていくことも大切かもしれませんが、何かを習得しようとする時には模倣から入った方が目指すところにより早くたどり着くことができます。

 もし何かの模倣をする時は、基本に忠実に行うのはもちろんのことですが、コレという人や手本を見つけたり、やってみるうちにお気に入りの方法やスタイルを見つけたら、それを模倣していくのが自分に一番定着しやすいかと思います。

 今自分が集められる情報の中で最も良いと感じたものから取り掛かり、実際に模倣して身に付けながら並行して情報を得ていき、徐々に自分のやっていることに活かし、強化していくとよいでしょう。

 

 また、物事を始めるにあたって「何が正解か」とか、「本当の〇〇とは」とか、やる前からそんなことを言っていたらいつまでたっても始まりませんから、そういう人はそれ専門の先生に習ってその通りにやるのが近道です。

 例えば書道やきれいな文字を書くとしたら、模倣する時にもし可能であれば、動作を一つ一つゆっくり確認しながら細かく理解するように、字をゆっくりなぞって、起筆、終筆、はね、止め、払いに気を配るように、じっくりと模倣していくのが良いです。

 というように、専門の先生に見てもらえば、準備、手順、初動、過程、結果、復習などの一連のやり方を身に付けられるからこそ習った方が早いのです。

 ただ、模倣する人の中には、上っ面だけでいいからさっさと終わらせたいとか、さっさと上達して今いる集団で一番を取りたいと思う人もいることでしょう。

 しかし、それだけでは「良いとされるものがなぜそうであるのか」とか、「良いとされるものが長い年月をかけて残ってきたその背景」とか、「その技術をなしている理論」などについて、理解を深めるきっかけはまず訪れないでしょう。

 

 まあ、ただできればOKとか、勝てさえすればOKとか、そういった理由の人にはまったく不要な考えでもありますし、人それぞれに理由もありますから、それを曲げろとまでは言いません。

 ただ、物事そのものは処理できるようになるでしょうが、芯となる教えや挙動は獲得しづらい、或いは気付かないまま、気付けても浅いままとなってしまうかもしれません。

 良いものを良いと認めてしっかりと自分に身に付けるには、良い師も、良い教えも、良い手本も必要ですし、それなりに反復したり、気づいたり、思考する時間も必要です。

 結局のところ、じっくりと時間をかけて模倣できる人が最も早く上達するのです。