試験や評価などでの結果の良し悪しに係らず思い出しておくこと


 誰にでも、良い結果を手にしたら浮かれやすくなってしまう、ということがあるでしょう。
 また、良くない結果を手にすると落ち込んで沈んでしまう、というものもあります。
 どちらであってもこういう時は、自分のことも周囲のことが見えづらくなってしまうものなのかもしれません。

 試験や審査員の評価などで点数が良かった時は、「勝って兜の緒を締めよ」ということで済むかもしれませんが、仮に良くなかったとしても必要以上に落ち込むこともないでしょう。
 なぜなら、数値や順位やランクなどで確認できる結果は、あくまでもそれを計測した時点での確認結果であり、今後も永続するわけではないからです。

 これは、受け止め方を変えれば「今の実力はこのくらいと分かった」とか、「今回の結果から分かった課題がコレとコレだ」とか、「だったら次は、こういう段取りをすれば前向きにやっていけそうだ」というようなことにも気づくことができるのですから、「それが分かっただけでもラッキーだ」と捉えた方が良いのです。

 そりゃあ目標が達成されなかったこと自体は確かに悔しいかもしれませんが、だからといって「結果が悪かったから全部ダメ。自分はダメ人間。」みたいな一括りの考え方一色に染まってしまうのもおかしなことです。

 

 もちろん、ある程度結果を振り返った後には、普通は「次の試験や評価の際には、もっと上を狙って今まで以上に努力していこう」となるのが自然です。
 自分で向き合った物事に対してきちんと結果を出すことは大切なことですし、結果を出すために努力を怠らないようにするのは当たり前のことなのですから。
 そして、結果を出せばそれなりの報酬が得られるでしょうし、たとえ一時でもいい気分に浸れるでしょうし、自分で用意したご褒美で自分を労いたいという気持ちも分かりますし大事なことです。

 しかし、忘れてはいけないのは、実際の社会の場で他人とやり取りをするような場合においては、結果だけでなくその周囲にあるものや、結果に至るまでの過程にあることや、そもそも取り組む時点で前提となること、などというのもあるということです。

 社会に出れば、「この人は〇〇ができる」とか「この人はこちらの条件を○○だけ満たしてくれる」という考えは、こちらがするのも相手がするのも当たり前のことです。
 実際のところ、よりしっかりと見られているのは、「信頼のおける人物か」とか、「きちんとした振る舞いや受け答えができる人か」とか、「心や体はタフか」とか、「この人と同じ方向性を向けそうか」とか、「迎合する人か、阿る人か」というような、点数とは関係のないことの割合もかなり大きいのです。

 

 要は、試験でも評価でも、一時的な数値やランクの結果に一喜一憂して浮かれたり不貞腐れたりするのは結構ですが、それだけでなく「そこから得られた課題について、これから地道に改善していくことを忘れるな」ということです。

 課題は自分で気付いて分析しても、誰かが助言してくれたことを取り入れても、周囲を見て参考にしても、何でも良いです。
 そうしていきながら、自分の目的や目標と所属している組織の方向性とが合うようにしていったり、自分自身も人間としても磨きをかけていくということが、その上に乗ってくるのです。