明日をよりよく生きるためにできること


 もしも今日一日やろうとしていたことが上手くいかなかったり、良いことが特になかったからといって、あまり悲観的にならないことです。
 何かを学んでも、それを実行しても、うまくいかずに停滞してしまうことは確かにあります。

 しかし、今を楽しむことを考えたら、その物事を細かいところまでよく見たり感じたり、客観的に見ることもできますから、そうして「たくさんのうまくいかないことの中にも1つくらいは良いものがある」と分かるきっかけが一回でもできれば、実際にはそんなに悲観的になる時間も増えずに済むものです。

 そのためにはまずは、「今日、何かに取り組んでみた」ということ自体が良いことだと思うとよいです。
 もし、何かうまくいかないことがあったとしても、「今日は残念ながら望む結果には辿り着けなかったけど、そのやり方が合っていなかったことが分かった」くらいに考えて、「やりたいと思っていたことを実際にやれた(取り掛かれた)」という実績の方にもう少し焦点を当てた方がよいでしょう。

 そして明日はもう少し詳しく分解したり掘り下げたりしてみて、小さな一部分でも良いから一つだけでもうまくいかせてみようと思って取り組むことです。

 

 ところで、「やろうとしていたことが本当に自分から興味を持って取り組んだことだったか」、「どこかでちょっと方向性がズレていなかったか」などについて振り返ってみたことはあるでしょうか。
 この視点を持つことは、自分の判断や決断の仕方を思い直させてくれるきっかけとなることでしょう。

 「実は他人から頼まれて」とか「実は他人から言われて何となく」というものばかりを引き受けていたとしたら、その用件が特に急ぎでも重要でもなければ明日は一旦置いておき、自分で主体的に取り組みたいことを優先してやってみることです。

 明日は改めて学び直すなり、一から段取りを組み直してみるなり、見方を変えてもう少し突き詰めるなりしてみればよいです。
 もちろん、その後には一旦引き受けたことを忘れずに済ませてあげる必要があると思いますが。

 もし自分の本心から興味を持って取り組んでいることなのであればよいのですが、他人から何となく言われて何となくやった事ができずになぜか苦しんでいたり、「これは本当に自分がやることなのだろうか」と疑問を抱きながら一日が過ぎていくのは、普通に考えても自分のためになっているのかも怪しいですし、傍から見ても理解にも苦しむことですよね?

 

 明日をよりよく生きるためには、自分のことを先に済ませることです。
 ただ、それだけです。

 まず、自分が本当にやりたいことややるべきことよりも、何の理由もなく他人を優先させていることを「おかしい」と思わなければなりません。
 先述の「今日、何かに取り組んでみる」とか「実績の方にもう少し焦点を当てる」とか言っているのは、当然自分のことです。

 「自分は誰の人生を歩むのか」ということを謝ると、膨大な時間を無駄にすることになります。
 もし心当たりがあれば、やっていることを振り返ったり一日を振り返るという回数を増やしてみた方が良いでしょう。
 成功者には、「明日やる事を一つでも二つでも決めて眠りにつき、朝は希望を持って目覚め、自分がすべきことを一生懸命に取り組み、夜にはまた、今日のように一日を振り返って次の日に備える」というようなことを言う人が多いですが、大切なことだと思います。