福沢心訓を久しぶりに見かける

 
 子供の頃から時折見かけた福沢心訓は、福沢諭吉の記した言葉とされており、大体が額縁に入れられて、丁寧に飾られていた。私が初めてそれを見たのは、剣道の習い事の合宿で、埼玉の山奥の合宿所に行った時だった。
 
 一度読んでみれば、「成程、いいこと言ってるなぁ」と思いつつも、身につまされるような内容なのだが、どうも素直に受け入れられなかった。理由は、現代語っぽくまとまり過ぎて、なんだかしっくりこなかったからである。
 
 最も知られている著書の一つの「学問のすゝめ」一つをとってみても、あの本を読んだ後にこの言葉を見ても、「本当に福沢諭吉の言葉ですか」となる。
 それから、見かけたもののうちで書かれている書体は隷書が多かったのだが、私は書道では隷書を得意としていたので、かなり違和感を感じていた。
 隷書特有の波磔(はたく)といって、特徴的な右側の大きな払いが、例外はあるとしても本来一文字につき一つのはずのものが、偏(へん)の側にも旁(つくり)の側にも、一文字全体で二つも三つもつけられている時があったからである。
 それで、多少怪しく感じていたのだった(文字に起こした書家は様々いたのだろうが)。
 
 
 
 やがて大人になるにつれインターネットが発達し、これが偽作と知るまでにはそれほど時間はかからなかった。福沢諭吉全集の著者で福沢諭吉研究者の富田正文氏や、慶應義塾も否定している。なお、以下は慶應義塾のサイトのコメントである。
 
 
 福沢心訓に書かれていること自体はためになる言葉ではあるかもしれない。しかし慶應義塾の主張する通り、「さも先生の発言であるかのように『福澤心訓』などと勿体らしく銘打ったにすぎない真赤な偽作である。(サイト本分から抜粋)」ということに変わりはないのだ。子供の頃というのは、何でも素直に真に受けて覚えてしまうことがほとんどなのだろうが、今になると、この変わった性格が幸いしたのだな、と思える。
 
 現在では出先で福沢心訓を見かけても、話に触れないようにしている。
 なぜなら、以下に記した七か条のうち、二番目の「一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です」と、七番目の「一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です」と書かれているその言葉が気になって仕方なくなるからである。
 
 それにしても、この文章を書いた不明な作者と七番目の文が、人々が福沢諭吉本人が言った言葉として信じられて世に知られている間、ずっと逃れられない関係にあるということは、慶應義塾の言う通り、何とも皮肉なものである。
 
 
 
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心訓(福沢諭吉翁と記されているが、実際は作者不明)
 
一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つと云う事です
 
一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
 
一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
 
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
 
一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にさせない事です
 
一、世の中で一番美しい事はすべての物に愛情を持つ事です
 
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です
 
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※この投稿での「福沢諭吉」の漢字表記は、現行の一万円札の表記に合わせています。