好きなことや楽しいことをしているのに鬱っぽくならないために メモ

 
 自分の好きなことをしていても、楽しいと思えることをしていても、リラックスする時間を必ず設けることが大切である。
 何事でもそうだが、息抜きをする時間は定期的にスケジュールに先取って入れておく必要があるだろう。
 好きなことや楽しいことだって、体力のことを考えずにいつまでも続けていられるわけではないし、続けていればそのうち疲れてきて頭も回らなくなってくるのだ。
 
 ポイントとしては、リラックスした時間を作ることができた方が、体力面や精神面から長い目で見て、より継続できるということである。
 ただし、リラックスする時間がないと成功できないということではない。
 また、リラックスが上手くできないのは、どこかに原因があって、それを排除しなければならない、ということでもない。
 
 そこで「○○しないと✕✕できない」という固定観念を持ってしまうと、例えばメンタル疾患に陥った時に、「原因を取り除かなければ、病気や症状は治らない」いうことになってしまいかねない。
 しかしそれだけに限らず、朝同じ時間に起きて日光を浴びるとか、ちょっとした散歩や運動をしてみるとか、睡眠の量や質を整えてみるとかするだけで持ち直す人もまたいるのだ。
 何か良くないことがあった時に、「その原因を取り除けば解決するだろう」と思う気持ちが湧いてくるのはよく分かるが、原因が取り除かれなくても改善したり解決できたりできることはいくらでもあるのだ。
 
 生きることにはエネルギーがいる。
 エネルギーを使えばどこかで回復させなければならないだろう。
 また、その使い方も、「何から何まで全力で行う」という使い方だけでなく、適切に配分しながらできるだけ負荷が少なくなるようにペースを作ったり、適度に回復させながら進めていくこともできるはずだ。
 
 それなのに、エネルギーを使ったまま回復させずに、枯渇した状態のままで一生懸命頑張っていれば、その枯渇した状態はやがて固定してしまう。
 普通なら休息を取れば回復するのに、体が疲れて精神も擦り減らして脳も疲弊した状態のままだと、体も心も脳も、疲労を回復させる物質を分泌させたり、精神的に明るく前向きにさせる物質を分泌させたりする能力が下がったままになってしまうのだ。
 
 一例としてあげるなら、引越しや結婚式を始めとした、書類や手続きが多かったり、一度にたくさんの人や知らない人に接したりするイベントなどは、面倒くさいことがたくさん重なる機会も多い。
 嬉しかったりおめでたかったりすることであっても、気苦労が絶えない期間が長く続けば、最後には気持ちが落ち込んでしまうこともある。
 人生のステップにおいては、それぞれ大切なイベントであることは確かなのだが、真剣に全神経を張り巡らせて集中してやりすぎた結果、上手くいかなかったりなかなか良い方向に事が運ばなかったりすると、燃え尽きてしまうケースもあるのだろう。
 
 
 
 人生をかけて何かを成し遂げようとするものであるほど、上手くいかなかった時のショックも大きいものだ。
 そうすること自体なかなか難しいのかもしれないだろうが、まずは気楽に捉えてみることである。
 
 エネルギー不足の状態の時は、その不足したエネルギーが復活していくことが大切なのだ。
 だからこそ、リラックスした時間を持つことである。
 何かの原因を潰そうと躍起になったり、ひと思いに会社や学校を辞めてしまうことをまずやってしまうのではない。
 
 リラックスする時間を毎日きちんと取れれば精神的な落ち込みは改善していくのだから、先にそっちをやるのだ。
 その反対に、緊張や不安を感じている時間が一日中続くのであれば何も良くなってはいかないのだから、その時間を減らそう、変えようとしていくのだ。
 
 分かりやすく言えば、仕事や学校から帰宅したのに、悩みを引きずって自分の部屋で考えて続けて塞ぎ込むのではなく、「それはそれとして、風呂でも入ってのんびりしよう」ぐらいの心持ちでリラックスする時間を毎日設けるのだ。
 横になって体を休めるだけでなく、頭の中もリラックスして休めることができるようにしていくのだ。
 
 楽しいことや好きなことがあって、それをしている時間がずっと続けば誰だって幸せだろう。
 しかし、休みもなくやり続ければ体も心も壊してしまいかねないのだ。
 
 休みを取ってリラックスする時間を作らなければ、やがていつかはメンタルが落ち込んだり無気力になったりしてしまうだろう。
 好きな仕事は好きな仕事として楽しむのは幸せなことだが、だとしても帰宅した後はその続きをやるのではなく、落ち着かせる時間を作るのだ。
 日々忙しいのは分かるが、せめて帰宅してから寝るまでの時間くらいは、リラックスしたりボーッとしたりする時間を持つということが、エネルギーの無駄遣いを避けたり十分に回復させることに繋がり、ひいてはそれが「明日の楽しみ」を実現させる活力に繋がるのである。